2025年12月13日更新
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■12月13日(土) 「正しく、美しい歩き方」の効果かぁ? ──血圧が、日替わりで変化しています──
予定を変更してお伝えします。
昨日を含めて、このところ血圧の変化の幅が大きくなっています。グラフは本年1月からの血圧変化の様子。2本の赤い横線はいわゆる「正常値」の上限。グラフ右端が今日お伝えしたい内容。(拡大グラフ(別ウィンドウ、1280×930))
年明けから4月中旬までは優等生的なデータ。ただし2月上旬の1週間は、「収縮期血圧」(いわゆる「上」)、「弛緩期血圧」(同「下」)ともに、明らかに高い状態を継続。これは前任校での集中講義によるものです。いろいろな意味で非常に厳しい環境下での講義実施。
そのため、とりわけ夜の数値が悪化しています。4月中旬から7月末までは、金沢工大と前任校での講義とそれに伴う移動のために血圧が規則的に変動しており、かなり高い日も多い。でも、よぉーく見ると、フロアレベル──特に「弛緩期血圧」──はそんなに変わっていません。
その意味では「比較的安定していた」と解釈することも可能。ちょっと予想外だったのが講義終了後。普通だと血圧がかなり低下するのですが、今年はなかなか下がらなかった(ただしフロアレベルの変動は少ない)。今年の酷暑が影響しているのではないかと考えています。
9月下旬から、前任校の後期講義が始まりました。
当然、周期的な変動が始まりますが、前期ほど顕著ではありません。やはり金沢工大への「通勤」、心身にとっては相当な「痛勤」だったのかも。
なおグラフ右端近くの12月初旬の上昇は先週の東北ツアーと続く講義、そして実家でのストレスによるもの。だからある意味、これらの血圧変動を納得できるのです。ただしここで見逃すことができない点が。変動幅の拡大だけでなく、9月中旬以降はフロアレベルが緩やかに上昇しています。
春から夏とは対照的に、「弛緩期血圧」でその傾向が顕著。(なお朝の「収縮期血圧」も上がっている)ストンと下がる日もあるので一概には言えないのですが、考えられる原因としてはまず、気温の低下が挙げられます。この現象は広く確認されています。
でもそれなら、年初の低い血圧の説明ができません。「キンエン生活」つまりNa+摂取量については、引き続き十分気を付けています。運動量についても、ここ4ヶ月は平均で13,000歩(/日)以上を確保。(ただし現在、歩数そのものには拘泥(こうでい)していない)
外来ストレスについてセンセイはコントロールできないので、受け入れて軽減させるしかありません。
結果的に、講義日と実家へ行く日は血圧が上昇し、それ以外は睡眠不足や東北ツアーなど通常とは異なる行動、そして外来のストレスで変動というパターン。
そこに前提条件として気温変化が加わります。昨日まで、血圧変動をこれで概ね説明できていたのです。
当地の天気は日替わり。明日から数日間は大荒れになると予想されています。今日は何とか持ちそうだった──予報より回復が遅れた──ので厳しい冷え込みが続く中、午前中に徒歩で外出しました。
実は、このところの悪天候で「正しく、美しい歩き方」を実践できていません。そこで今日は歩き方を強く意識した上で、14,000歩以上歩きました(筋肉がかなり疲労する)。本当に寒かったのですが数千歩歩くと、体の中から暖かくなってきます。
おそらく、ふだんは省エネかつ身体に良くない歩き方をしているのでしょう。昨日は悪天候だったので「正しく」は歩けませんでしたが、それなりの運動量(約15,500歩)を確保。ただし当日まで続いたストレスの影響か、日中の「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は正常値をクリアできず。(137mmHg)
それが頭に強く残っていたので、「今日は正常値をクリアできるといいなぁ...」と願いつつ測定。結果はというと昨日とは対照的に、測定データはすべて正常値をクリア。「収縮期血圧」の個別最低記録は96mmHg、「平均」は写真の103mmHg。これも「正しく、美しい歩き方」の効果かぁ?
もちろん生命現象がそんなに単純でないことは重々承知していますが...。明日から数日、中断していたお話──新しいネタを含む──をお伝えする予定です。
■12月12日(金) 予想通り、大変なことに... ──西村センセイ、市内の法律事務所を初めて訪れる──
いつもと毛色が異なる話題。つまり個人的にはあまりご縁がなかった分野のお話。
寒冷前線の通過と寒気の入り込みにより、当地は昨晩から大荒れの天気に。今回は気圧勾配が険しい「山雪型」の気圧配置。今朝は本当に冷え込みました。路面凍結により、あちこちでスリップ事故が多発しています。
山雪型の場合、平場ではあまり雪が積もらないのが普通。その代わり、とにかく風が強く猛烈に冷え込みます。決して「雪がドカドカ降る」状態ではないのですが、それでも雪が舞います。こんな日は風と雪がある程度収まるまで、徒歩での外出は控えたいところ。
でも今日は、9時に約束が。事前に関係者と相談、調整した結果、センセイが法律事務所(写真左)を初めて訪れることになったのです。ちなみに右奥は地新潟方法務局柏崎支局が入る建物。こちらは母親が畑にする土地を購入した際、訪れたことがあります。
かように、法律事務所は法務局の近くに事務所を構えることが多い。(事前に事務所を確認しておいた際に気づいた)オトナにとって「約束」は(ほぼ)絶対。徒歩での行動範囲なのですが、最悪の場合は自動車利用を覚悟。でも県西部(「上越」地方)は雪雲が続いていますが、当地は雲の切れ間も。吹きすさぶ寒風の中、徒歩でご出発。
元サラリーマンなので、約束の5分前に事務所前に到着。雪が降ってきたので、建物の陰で雨宿りならぬ「雪宿り」。8時59分30秒に事務所のチャイムを押しました。用件はもちろん法律に関すること。でも実は、センセイや西村家に直接関係する内容ではない。
要するに、「田舎の空き家」問題なのです。
親世代までの田舎の女性は、近所に嫁ぐのが普通。父方の伯母の一人も実家の集落内の方に嫁ぎました。ご夫婦は大阪で商売を始めます。
義理の伯父は商才に恵まれ、一代で財を為すことに。その兄妹は全員地元を離れて、皆が成功。他方、地元つまり義理の伯父の実家には年老いた父親が残されます(奥様は先に亡くなったはず)。そこで他県で教師をしていた妹を呼び戻して、親の面倒を看てもらいます。
センセイが小学生の頃、その父親が逝去。呼び寄せた負い目があるので、義理の伯父は妹のために実家を建て替え、さらに増築。15年くらい前に、親の面倒を看ていた妹も鬼籍に入ります。
つまり、その立派なお宅が空き家に。それ以降も税金は義理の伯父およびその息子(センセイの従兄)がきちんと支払っていたのですが、土地(他に田畑および山林がある)と建物の登記は乖離状態。登記簿に伯父の名前はありません。
税務署は事情を重々承知した上で、「税金さえ払ってくれればよい」というスタンスなのです。時間がさらに経過し、親世代で存命なのはセンセイの父親のみ。次世代つまりセンセイの従兄弟ですら、櫛の歯が欠けるようにこの世を去っており、現在はその子どころか、一部は孫世代(!!)に突入しています。
ここで整理しておかないと、二度と収拾がつかない事態に。以前から関係者が集まるたびに話題になっていたのです。こで先月、直接の関係者(従姉妹)がセンセイの実家に集まって、対応を協議。その後も連絡調整を重ねて、今日に至ったという次第。
実は、いくら伯母が嫁いだとはいえ、他家の問題。センセイ自身(および父親)は直接の当事者ではないのです。他方、地元に残っているのはセンセイらだけ...というわけで、手続の入口に立つまでをセンセイが担当することに。ちなみに登記を整理することができたら、(立派な)建物は解体して更地化。
たぶん、その後はセンセイの父親が無償譲渡していただくか、は登記手続料のみを負担して譲り受けることになるはず。そして、それを相続するのはセンセイ...。
お気づきのように、西村家としては直接のメリットは皆無。いわゆる「負動産」が増えるだけでなく、租税も負担する必要があります。でも鬼籍に入られた伯父伯母等を含めて、広い意味で親戚関係を考えるならばおそらく、これが最も適切な落としどころ。
未来に対してだけでなく、過去に対しても責任があるはずなので。だからセンセイは一生懸命...ですが、懸念材料も。
直接の当事者は、広い意味での「相続」に関する知識が不足しています(センセイもその一人)。従兄は「連絡が取れる関係者が了解すれば...」と考えているようですが、相続する権利を持つ関係者はずっと多いはず。
事務所でその点を確認すると、センセイの理解通り。誤解されたくないのですが、今日の事前打ち合わせは極めて建設的かつ有意義なものだったのです。対応してくださった司法書士の方──出入りの工務店に紹介していただいた──は経験豊富。そして何より、実直なお方。
ご説明いただいた内容には、十分得心(とくしん)がいきます。帰宅後、相談した内容をメールで送信したのですが...予想通り、お礼のメールの行間に従兄が絶句している姿が見えます。
でも、まぁ、センセイとしてはベストを尽くすしかありません。
次期ご当主様(10代目予定)なので。
■12月11日(木) 数字と施設の広さが一致しない... ──「PLANT-4 聖籠店」を初めて訪れました──
「聖籠」と書いて「せいろう」と読みます。
前任校は県北部の新発田(しばた)市と同町の境界に位置しています。今日はその前任校での講義の日。年内の講義は今日と来週を残すだけ。進度が遅れ気味なので、このところかなりのスピード。
だから気が急(せ)いて...というわけではないのでしょう──それほどヤワではない──が、昨晩はなぜか寝つけず。眠りが浅いことを強く自覚しながら目覚めました。「高いだろうなぁ...」と覚悟しながら血圧を測定すると期待(?)通り、高い。今朝は珍しく正常値をクリアできず。少なくともセンセイの場合、朝の血圧は前の晩の睡眠状態で決まります。
でも、これが現実。加えて今日は行程が特殊。往路復路ともに途中で新潟市内に立ち寄るのです。残念ながら体調が万全ではないので、事故を絶対に起こさぬよう慎重に運転。もちろんちゃんと講義し、無事に帰宅しています。
問題は、昼食。講義を終えて前任校を発つのは12:30ころ。2時間10分程度運転するので、学食あるいは大学近辺でお昼を頂くと行程の後半で眠くなる可能性が高い。そこでいつもは経路半ばでスーパーに立ち寄り、簡単なお昼を頂きます。
でも今日は、運転開始後40分くらいで途中にある目的地に降り立ちます。その後、食事を取ることができる可能性はありません。同時に、軽いお昼で済ませる必要があります。だから学食で「カレーライス(小)」(300円)を頂くつもりだったのです。ちなみに通常のカレーライスは、学生向けにかなりの大盛り。
でも講義を終え、片づけを済ませて学食の様子を確認すると券売機前には長蛇の列。年末が近づき、課題などを警戒して出席率が上がっているのでしょうか。当初案は即刻放棄。
車を出しながら、次善策を考えます。コンビニならあちこちにあるのですが、一般的に塩分濃度が高い。値段も張ります。だからやはりスーパー...と考えた時、大学の割と近くに写真の「スーパーセンターPLANT-4 聖籠店」があることを思い出しました。
経路の国道7号線のすぐ脇なので良く見えるのですが、入ったことはありません。
こちらも初めての道路を慎重に走行して広い駐車場へ。お昼時とはいえ平日なので車は少ない。とにかく店内へ...と思ったのですが、どこが食品売り場なのか想像できません。
とにかく広く、大きな建物なのです。プラントのサイト(「よくあるご質問」→「PLANT全般について」)によると、「PLANT-」に続く数字は広さを示しているはず。センセイの母親は主に、刈羽(かりわ)村にある「PLANT-5 刈羽店」を利用。
同店の場合、新潟県中越沖地震で建物および設備が大きな被害を受けました。一時閉店していたのですが、刈羽村の要請を受けて規模を縮小し営業を再開。だから同店の場合、数字──数字が大きいほどお店の規模も大きい──と現状の規模が一致しないという特殊事情があります。
でも刈羽店の本来の規模を考えても、「4」つまり一回り小さいはずの聖籠店の方がはるかに広く、大きい。つまり数字と施設の広さが一致していません(増築したのかも)。それはともかく、中央付近の入口から店内へ。最初は何が何だかわからなかったのですが、どうやら食品売り場は写真の左側らしい。
その後は概ね順調。店内で軽いお昼を頂き、次の目的地へ。帰路は注意力不足を懸念して、持参した貴重な「カフェロップ」を一包服用します。運転中、西から天気が坂道を転げ落ちるように悪化。寒冷前線と強い寒気が迫っているのです。
帰宅後は、雨や雪こそ降らないものの、強い風が。(19時頃から風雨になった)またまた「高いだろうなぁ...」と覚悟しながら血圧を測定。今回も期待に応える(?)かのように、正常値をクリアできず。ただし「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は朝よりは低く、個別記録は正常値に入る場合も。
気を遣いながら相手に接し、しかも厳しい条件下で運転したのですから、しかたない。問題は、明日以降の変化です。
ちなみに、センセイの母親が「PLANT」を好む理由は、品揃えと価格。「○○より安い...」と、嬉しそうに語ります。でも客観的には、かつては確かにライバル店より安かったものの、最近は割としっかり販売価格を上昇させています。
お客は敏感。少なくとも「刈羽店」の場合、明らかに利用者が減少しています。他店の方が安い場合が増えているのです。お客の減少は当然、店頭に並べられる商品の削減に繋がります。隙間が目立つ棚がさらなる客の減少を...という、ほぼ最悪のパターン。
当然、本部もこの状況を把握済(のはず)。本部社員と思われる挙動不審(?)な複数の人物をしばしば見かけます。
それにもかかわらず、「安い...」と喜んで商品を籠に入れるセンセイの母親って...。ま、いいんです。買い物は本質的に、本人の満足度の問題なので。
センセイが母親に他店の情報を伝えることはありません。
■12月10日(水) 来春開業予定の民間体験施設「放課後の遊び場『にわニワ』」の工事が始まりました
タイトル通りの、ローカルな話題。
先日、いつものスーパーで晩酌のツマミを買い求めた帰路の出来事。国道8号線の交差点が見えてくると同時に、重機の音がすることに気づきました。実は現在、交差点の拡幅工事を実施中。
だから重機の音そのものは当然。でも、音源の方向が違う。
接近してみると、おぉ、「ビデオ1」として用いられていた建物(写真奥)の隣の、駐車場だった場所のアスファルトを剥がしています。もちろん土地(と建物)を再活用するため。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
以前ご紹介した民間の遊び体験施設「放課後の遊び場『にわニワ』」(紹介記事)計画が順調に進行しているようです。
この日は剥がす作業だけ──それも、完了しなかった──でしたが、翌日には廃アスファルトの搬出作業を開始。数日で綺麗な更地になりました。
ここは「外遊びスペース」になるはず。毎日通って確認しているわけではないのですが、建物内を含めて現在、工事は一休みという感じ。でも来春にはオープンとのことなので、積雪時も工事をするものと思われます。
子供たちの活動の場が増えるのは、社会全体にとって望ましいこと。ただし個人的に気になることが。地域人口とりわけ若年層が少ない当地には、「遊び場」の強力なライバルが存在するのです。しかも今春、一段とパワーアップ。
当地最大の負の遺産である「フォンジェ」内の、「キッズマジック」です。もともと「フォンジェ」開館時から存在していた民営の「キッズマジック」。でも「フォンジェ」は経営破綻し、テナントは次々と撤退。空きスペースはイベント(こちらやこちら)で使用される程度。
これとは別に、急激に進む少子化対策は重要。両者の利害が一致して、昨秋「キッズマジック」をひとまず休止。施設全体を大幅に拡充させ、備品を更新するだけでなく何と、市営・無料化(!!)。本年春に再オープンしました。連日、多数の子供たちが利用しています。
週末や祝日は入替制を取らざるを得ないほど。冷静に観察すると、来客の目的は「キッズマジック」利用のみ。館内や、近くの商店街で何かを購入することはほとんどありません。残念ながら、これぞ衰退が進む当地の現実。
本題に戻ると、屋外で身体を動かせるかどうか、そして子供たちが自分で「遊び」を考えることができるかどうか──ここは見逃せない──という点を除けば、「遊び場」としては同じ部類に括(くく)られます。
ただしライバルの「キッズマジック」は無料。もちろん、それを十分承知の上での「放課後の遊び場『にわニワ』」開設。
今後の展開を注視するだけでなく、経営側の意気込みと努力を応援したいところです。
■12月9日(火) なぜ来春のダイヤ改正からじゃないんだろう... ──山形新幹線新アプローチ線──
ご存じのように昨晩、東北地方で大きな地震が発生しました。
新潟県北部(「下越地方」)では震度3を記録した地点もあったそうですが、当地は震度1。気づきませんでした...というか白状すると、机の前で完全に寝落ち。だから少々揺れても認識できなかったというのが本当のところ。
情けない。他方、最大震度は6強。発生が深夜だったこともあり、多くの方が暗く寒い中での避難を強いられたはず。交通機関も大きく乱れました。(これとは別に、上越、北陸新幹線は熊谷駅で発生した人身事故のために長時間混乱した)。
同じ災害の被災者として、心よりお見舞い申し上げます。写真はその東北地方の「南の玄関」とでもいうべき福島駅付近で撮影したもの。つまり先週の東北ツアーに関してご紹介し損ねていた話題。いろいろ考えたのですがやはり、今日ご紹介させていただきます。
今回のツアー2日目は、郡山を出発して秋田を目指しました。ツアー後半で利用したように、この間は新幹線だけで移動できるのです(ただし乗り換えが必要)。でもこの日の主目的は米坂線乗車。そこで、まず山形新幹線で米沢まで移動。その際、揺れの少ない車両中央の、その右窓側の席を確保しました。
もちろん、これには理由が。上りか下りかにもよりますが、福島─山形県境の板谷峠は、右側席の方が美しいと思う(逆に、見えない風景もある)。そして、もう一つ。福島駅での新アプローチ線新設工事(2枚の写真)の進捗状況です。
それを確認するためには、右側に座る必要が。
ご存じの方も多いと思いますが一応、ご説明を。福島と青森を、山形、新庄経由で結ぶ奥羽本線は、東北本線と並ぶ東北地方の大動脈。
東北新幹線開業後も、夜行列車など在来線の列車が運行されていました。ただし山形新幹線開業に伴い、広軌(実際には「標準軌」)化されるとともに路線を改良。また高架上にある東北新幹線乗り入れのため、センセイが現在利用している福島駅のアプローチ線を新設。
ところがこのアプローチ線は1線のみ。福島駅で最も西側の待避線に繋がっており、ここで上下すべての山形新幹線の分離・連結を行います。つまり、そもそもかなりややこしい。
それでも下り列車については、相対的にまだ簡単な方。問題は上り列車で、下り用の待避線に乗り入れてから、下り線で待機(!!)していた上りの東北新幹線──実にややこしい──に連結。そこから線路を数本横切って、本来の上り線に入ります。
もちろん、それを考慮してダイヤ設定。だから、ふだんはあまり問題にならないのです。
でもご賢察の通り、冬季、それも雪が積もると山形新幹線のこの構造による遅延が原因で、JR東の新幹線全体に混乱が波及。福島駅全体の構造を変更するのは困難。
そこで上り専用のアプローチ線を新設して列車の平面交差を回避することに。工事はかなり進捗しているとのこと。1枚目の写真は、福島駅出発直後に撮影したもの(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))。太陽は右斜め後ろ。その関係でいろいろなものが陰になっており、何が何だか良くわかりません。
だからセンセイも最初は見逃したのですが良く見ると、東北新幹線の高架の下に真新しい新アプローチ線。2枚目の写真は、続いて撮影したもの(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))。新アプローチ線の様子が良くわかります。「2026年度末の開業」とのことだったので、あまり期待していなかったのです。
でも実際にはすでに、架線も張られています。これは完全に予想外。北陸新幹線の工事を間近で見た人間からすると、後は電気・軌道総合検測車を走らせるだけ...という感じ。
素人からすると、来年3月のダイヤ改正に十分間に合うと思うのですが...。ま、いいんですけど。
■12月8日(月) 数十トンを支える支柱を、スポスポと?! ──傾いたお宅の修復作業が始まりました──
予定を変更してお伝えします。
今日の当地は大荒れの天気。とにかく西風が強く、まるで真冬のよう。気温もかなり低いので、いっそうそう感じます。違うのは横殴りの雪が吹き付けないことくらい。ただし午前中は大雨にならないだろうとの予報。
残念ながら親戚の仕事──次期ご当主様の任務──で午前中は在宅。区切りがついたのは10時半頃。雨雲レーダーを見ると、あと約30分で雨になる見込み。ただしその後も雨が続くはずなので、急いで最寄りのスーパーへ。用を済ませて外を見ると、とんでもない降り方です。
とても外へ出られない...。大きなスーパーなので25分ほど店内をフラフラ(おかげで新しい発見がありました)。降り方は小降りになり、西風も少し弱くなったので次の目的地へ移動します。その後も数回雨宿りして、買い物その他を済ませました。
旧市街地からは追い風に。
強風で壊れる点にさえ注意すれば、往路と違って傘を差すことが可能に。風向きを考えて住宅の陰の、風が弱くなる場所を歩きます。
あと1kmくらいで自宅...という場所で、あれっ?!道路の反対側にトラックが止まり、雨の中、制服姿の1人の男性が何かの作業中。もちろんそれだけなら良くあることなのです。問題は作業の現場あるいはその対象。
ここは以前ご紹介(こちらやこちら)した、傾いた家の前なのです。折れ曲がった円柱状の支柱はすでに撤去されています。作業を少しだけ拝見させていただくと何と、角柱状の鉄柱をトラックの荷台から運んで、スポスポと嵌め込んでいきます。
すでに右側と中央の鉄柱は嵌め込み済。写真は、左ドアミラー部分の後ろにある左端の鉄柱を嵌め込んだところ。数十トンにも及ぶ上部構造物の重量を支え、建物全体の強度を保つ鉄柱(の一部)を、ですよ。
さすがにこれにはびっくり。もちろん、そんなわけはありません。
鉄柱の両端部(特に真ん中の柱)を見ると、塗装の色が他と異なります。そしてその右隣には同じような形状の鉄柱が。つまり今日持ち込んだのは脇にある古い鉄柱を置き換えるためのものでしょう。
今後、ジャッキ等で上部を持ち上げて、角柱状の支柱を交換すると推測されます。折れ曲がった円柱状の鉄柱は、家屋の最前部。そこまで以前と同じに戻すのかどうかは不明です。でも、ま、この家屋──たぶん、もともと無人──を再活用するということなのでしょうから、それは喜ぶべきこと。
高額な修復費用は当然、自動車か何かを衝突させた側が負担したはず。保険を使ったかどうかはわかりませが。
■12月7日(日) 感覚的に一番近いのは、細野晴臣の初期作品群 ──越後線2番「比角踏切」──
写真はJR越後線を走行するE129系電車。
ただし今日の主役は電車でなく、写真の踏切。ここは写真の左奥に位置する柏崎駅を発った列車が、拙宅最寄りの「田中踏切」に続いて通過する「2番『比角(ひすみ)踏切』」。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
すぐ隣、続く「第一羽森町踏切」を越えると列車は「東柏崎駅」(旧「比角(ひすみ)駅」到着。
つまりそもそも、列車到着時も出発時も駅に近い。しかも東柏崎駅は、現在でこそ棒線化されているものの、かつては相対式ホーム2面2線(+待避用の中線)を備えた立派な構造。
センセイが高校生の時、帰りの列車はここで対向してきた蒸気機関車牽引(!!)の貨物列車と交換していました。当時は引き込み線が複数存在しました(今も待避線が1本残されている)。現在も駅構内に出入りする際、それなりのカーブ(こちらの2〜4枚目以降の写真)が存在。
このような理由でこの「比角踏切」を通過する列車は極めて低速。踏切はあちこちに存在しますが、大半は列車が轟音を立てつつ高速で通過。だからこの「比角踏切」で見る電車の印象は、ふだんの姿と大きく異なります。
感覚的には路面電車あるいは、かつて旧新潟県庁付近まで一部国道上を走行していた新潟交通電車線に近い。個人的には細野晴臣の、「はっぴいえんど」時代に作った「風をあつめて」(1971)や、ソロ時代の「終わりの季節」(1973)の雰囲気を強く感じます。
前者には都内を走っていた路面電車が、後者には貨物列車が登場。ただし作詞は別な方(前者は松本隆)なので、ここでの「細野の曲」という表現が適当かどうかは、はなはだ疑問ですが。
それはともかく、ふだんとは違う鉄道の姿を見ると、印象がガラッと変わる時があることは事実です。
■12月6日(土) これぞ柿右衛門の「柿色」 ──ほぼ完熟した柿の実をつけた木に出くわしました──
今日の当地は昨日までの天気が嘘のように、雲一つない青空。
ただし放射冷却が起きたので積もった雪がなかなか融けないし、場所によっては氷も張っていました。さてセンセイは6日間の「ツアー」を終え、今日から平常モードに。というか、いつも通りに戻す必要が。
疲れが抜けていないため、残念ながら今朝の血圧は正常値をクリアできず。もう一つ気になっていることが。ツアー中は、ちゃんと歩くことができていないのです。旅先ではできるだけいろんな場所を歩くようにしているので、歩数的には県外滞在中も平均10,000歩以上歩いています。(なお現在は歩数に拘泥(こうでい)していない)
ただし旅先では両手に重い──ホントに──荷物を持っての歩行。
日によっては傘も差していたので、「正しく、美しい」歩き方なんてできるわけがない。旅行中は「姿勢が悪いなぁ...」と反省しながら歩いていたのです。
良くない...。そこで朝のうちに自動車を使う用を済ませてから、徒歩で外出。ちょっと探し物もあったので、いつもとはかなり違うルートを歩きました。
写真はその途中で出くわした、初めて気づいた柿の木。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
「柿の実」というと、こちらの色を思い浮かべる方が多いと思います。もちろん間違いではありません。でも今日見つけたのは完熟寸前の柿の実。
今でも十分軟らかいと思いますが、ももう数日するとゼリーのような状態になります。こうなるともう、自然な落果とどちらが早いかという競争。かつて実家の庭には同じような柿の木──ただし実はずっと少ない──が植えられていました。
93歳で亡くなった祖母は、この状態になった柿が大好き。自分では穫ることができないので、孫のセンセイらが1日1個ずつ穫ります。3人の孫はいずれもこの柿を好まなかったのですが、祖母は本当に美味しそうに食べていました。ちなみに父親つまり祖母の息子も柿が好き。
見る機会が少なくなった──だからびっくりした──完熟柿ですが、どうやら所有者の方は収穫しようという気をお持ちでないようです。柿の実に戻ると、たぶんこの色が有田焼「柿右衛門」の柿色。(たぶん)
佐世保線に乗車した際、かなり近くを通過したのですが下車して訪れる機会には恵まれませんでした。個人的には「柿右衛門」と言えば、夕日に映える柿の実を見て、その色を再現しようとしたお話。(知らない人が大半のはず)
小学生の頃に本で読み、強く印象に残っていました。でも今回、念のために確認したところ、この逸話は完全な創作とのこと。知らなかった...。
歩き方に注意しながら歩みを再開します。すぐに思い知らされたのは身体が重く、しかも鈍(なま)っていること。体重増加というより、わずか数日で筋力がかなり低下しているらしい。姿勢はどうしても前屈(かが)みに。
これではいけないと気を取り直して、姿勢と歩き方を正します。疲労状態でご帰宅。
今日の総歩数は15,000歩以上で、ストレスは自覚していません。さて、この状態で...と思いつつ血圧を測定。残念ながらまだ高めでしたが、それでも「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は正常値を何とかクリア。
個別最低記録は123mHgでした。
この調子なら、明日あたりにはほぼ通常の状態に戻ることができるのではないかと期待しています。
■12月5日(金) ハクチョウは、どこに消えた? ──数日に渡るツアーは難しくなっているらしい──
今日のセンセイは、チト忙しい。
金曜日なので高齢の両親の食料を確保すべく、お昼過ぎに実家へ行く予定。でも今日は「足」がありません。点検、整備のため、愛車を自動車販売店に預けてあるのです。だからまず、それを受け取りに行く必要が。
問題は、雪。新潟県全体で見ると今回の雪は山間部が中心で、しかもピークは昨日。ただし当地および西隣の上越市では、未明からずっと雪が降り続いています。今日は小さな低気圧が当地を通過するので昨日と降り方が異なり、「里雪型」に。
山岳などの地形にはあまり関係なく降ります。地表の温度がまだある程度高いので、降った雪は融けてグチャグチャに。朝、柏崎駅へ移動する時は3cmくらい積もったこの雪の上を歩きました。防水靴なのですが何だか中まで湿っぽくなってきます。
水漏れしているわけではないんだろうけど。平日に加えてこの天気。駅構内も電車内もガラガラです。自動車販売店の最寄り駅下車後は、再びグチャグチャの雪道。倖い、点検は無事に終了。ただし、いくつか整備した方が良い点があるとのこのと。
至急ではないそうですが。技術面は優れているお店──しかも良心価格──なので、店主のご提案通りに整備していただくことに。必要な部品を取り寄せていただき、年明けに作業していただきます。ちょっとヘビーな整備になるので、1週間近く預けることに。
当然、費用も掛かりそう。
でも、良い車を乗り続けるためですから仕方ありません。帰路は今シーズン初めての雪道走行。やはり気を遣います。視界の悪さなどに悩まされましたが、それでも無事にご帰宅。
持ち帰った夏用タイヤを収納してから1時間ほど、銀行その他へ。用を済ませてから今度は車で実家へ向かいます。途中、農業用の溜め池脇を通ります。まだご紹介したことがないのですが、この時季はハクチョウのねぐらに。(ただし、いない時もある)
どうかなぁ...と思いながら近づくと、おぉ、今日は25羽くらいが休息していました。帰りに撮影するつもりで、ハクチョウを横目で見ながら通過。ここから先は標高が少し高くなるので、その分、雪も平場より多くなります。
いつもは近道をするのですが、轍(わだち)がなかったため遠回りの、しかし勾配の緩い経路を選択。近道には急勾配の区間があり、そこを下るのです。でも今日は雪で、前輪での操舵が効かない可能性が。坂道、特に積雪時の坂道は、下り坂の方が怖い。
無事に実家に到着。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))道路に雪が見えませんが、これは消雪パイプで散水しているため。実際には数cmの湿った雪が積もっています。実家には誰も出入りした気配がない...。もちろん両親は無事で、食料調達他を済ませます。
上り坂も怖かったので、近道を利用せずに溜め池に接近。変だなぁーと思いながら、車を安全な場所に止めます。「梅」望遠レンズを装着した“EOS Kiss M”を手に車外に出ると、いない...。1羽もいません。周囲の田圃を見渡しても姿はなし。この間、約1時間。
ホントに、どこに消えた?運転を再開します。自宅にいる時は自動車をほとんど遣わないので、この機会にあちこち立ち寄ってから帰宅。あれこれ片付けてから血圧を測定すると、予想通りかなり高い。それでも昨日ほどではありませんが。
客観的には日曜日から今日までの6日間が、「ツアー」のようなもの。どこかおかしいというようなことはないのですが、疲れが溜まっていることは自覚しています。どうやら、今までのように数日に渡るツアーは難しくなっているらしい。お歳暮が届いたのでお礼のメールを送ったら返信を頂きました。
5歳先輩の元同僚(都内在住)からなのですが、「今年は家族旅行で熱海へ行っただけ」とのこと。数年後のセンセイの姿そのもの。
そもそも出かけるかどうかを含めて、今後はツアーのあり方を再考する必要があるようです。
■12月4日(木) 増えたものと、激減したもの ──酒田駅と駐輪場がリニューアルされていました──
正確に言うと、いずれも「もの」ではないのですが...。
前任校での講義を終えて帰宅しました。今朝、新潟駅前のホテルで目覚めると何だか外が薄暗い。雲がかかっているだけでなく、民家の屋根が白くなっています。屋根に雪を積んだままの車も。
早めに新潟駅へ移動します。状況を確認すると、新潟─長岡間の信越本線はほぼ正常に運行されているものの、センセイがこれから乗車する白新線とその先の羽越本線はグチャグチャ。長距離を中心に、1時間近く遅れている列車も。
酒田駅を含む庄内地方で強風が吹き荒れたようです。ただし始発の上り特急「いなほ2号」を含めて運休は発生していませんでした。ホームへ出てみると何と、前任校の1限講義に間に合う折り返し列車がまだ到着していません。つまり学生の多くが登校できない。
だから1限は実質的に、休講のような状況だったはず。約45分遅れでその電車が到着。センセイの講義は2限。本来乗車すべき列車はこの次に入線するのですが、そちらも遅れる可能性があります。そこで念のため、先発列車に乗車。今日は資料を印刷するつもりだし。
羽越本線は複線区間と単線区間が混在しています。実際の輸送量を勘案した、総合的な判断(個人的には妥当な判断だと思う)。複線区間や行き違いのための信号所に合わせてダイヤを組んでいるので、通常ならあまり大きな問題は起きないのです。
でも今日のようにひとたびダイヤが乱れると、交換できる区間や場所が限られているため、悲惨なことに。遅れがさらなる遅れを呼びます。電車は約1時間遅れの「いなほ2号」と長編成の貨物列車──日本海縦貫線は人員よりむしろ貨物輸送がメイン──そして各駅停車と交換し、55分遅れで白新線佐々木駅到着。
駅前で待機している学バスに乗り込みます。...が、おぉ、数分後に、本来乗車すべき電車がガラガラの状態で佐々木駅到着。学バスは2本の電車で到着した学生諸君(+センセイ)を乗せて、大学へ。
教室の準備や教材印刷などを済ませると、もう講義の時間。もちろん反省点はありましたが、講義そのものは概ね無事終了。全体の進行が遅れているという点を除けば、ですが。
右の写真はツアー3日目、数年ぶりで降りたJR酒田駅。綺麗にリニューアルされています。何度か酒田で宿泊する計画を立てたのですが、流れていたのでびっくり。2枚目は、地下通路で東口に出たところにある駐輪場。
以前も木造の駐輪場があったのですが、こちらも綺麗に造り直されています。帰宅後に調べたところ、駅舎は2021年にリニューアル。
駅前および駐輪場は昨年整備されたらしい。以前は高校別の駐輪場だったのですが、現在はごく普通のタイプに。個人的にはそれ以上に驚いたことが。前は(古い)駐輪場一杯に自転車が止められていたのです。
でも今は、それなり。右奥にぎっしりと並べられた自転車が見えますが、これは放置された自転車を処分するまでの間、一時留置しているもの。
駐輪場利用者、つまり高校生が激減しているのです。この点は今回巡った秋田県と山形県共通。たとえば秋田県の横手や湯沢などでは朝晩、これでもかという人数の高校生が乗降していました。
しかも非常にマナーが良い。乗車した時間帯を配慮する必要がありますが、高校生がホントに少ない。
彼ら彼女らの一部を受け入れるのが大学。センセイは広く業界関係者ですし、ご存じのように金沢工大入試部長など、ずっと学生募集業務に従事していました。
だから具体的な数字などは良く承知しています。でも、現実をかように目の当たりにすると冗談抜きで、秋田県はそう遠くない将来に消滅してしまうんじゃないかと思えてしまうほど。
講義を終えたセンセイは帰路に。いつもと違って、今回利用したパスを活用して帰路、新潟─長岡間は上越新幹線に(ただし帰宅時刻は変わらない)。この区間に乗車したのは10年ぶりくらいじゃないだろうか。帰宅後、最低限の片づけをしてから血圧を測定します。
今日は特別なことをしていないので...と、期待しながら測定結果を見ると、ドッカーン!!初回は、個別記録では今回のツアー中2番目の「高」記録。もちろんその後は下がりましたが、正常値には遠い残念な結果に。センセイの場合、「弛緩期血圧」は問題ないのですがなぜか「収縮期血圧」が高い。
残念ながら、これは事実。もう一つ覚悟しながら入浴前、体重を測定します。たぶん初めてお伝えすると思いますが、ツアー中のセンセイはまず、できるだけ眠るように心掛けています。ただし実際には、実現できていないのが現状。
ツアー中に血圧が高くなるのは、どこかに緊張が残り、ゆっくり休息できていないからだろうと考えています。そしてもう一つ、できるだけ食べるように。何しろ体力の源泉なので。
こちらはたいてい「体重増加」という形で実を結ぶ(?!)のが普通。今回のような数日のツアーだと2kgくらい増加することも。「身体が、ちょっと重いなぁ...」と実感する場面があるほど。で、今日の結果はというと、出発前より1kg程度増加。
西村センセイ、実はこのところ体重が減少傾向。今までは秋になると増加していたのですが、今年はさっぱり。そのためちょっと期待していた部分があったのです。確かに増加していますが...う〜ん、微妙。ただし内視鏡検査を含めてちゃんとチェックしていただいています。
だから血圧も体重もしばらく様子を見るしかないという常識的な、されどある意味、情けない状況に。でも、ま、これも現実。
トホホ。
■12月3日(水) でも、まぁ、これも鉄道の旅の醍醐味 ──「線路内にハクチョウがいるため...」──
東北ツアーも、ほぼ最終日。
パスの有効期限はもう1日残っているのですが、その分を前任校での明日の講義のための、移動と帰宅に使用します。自宅に戻ることは可能なのですが移動の都合上、現在は新潟駅前のホテルに滞在中。
実は明日、ちょっと困ったことになるかも。それは後回しにして、ツアー最終日のご報告を。といっても今日は、要するに秋田から新潟へ戻るだけなのです。ただし「適当な特急がない」という口実で、わざと遠回りのルートを選びました。
へそ曲がりの典型ですねぇ。言い訳が許されるとしたら...ですが今回のツアー、初日は一昨年秋と同じ行程。只見線と磐越西線に乗車し、暗くなってから郡山に到着しました。只見線乗車は水害による代行バス利用を含めて7回目。
何度乗車しても、新しい驚きがあります。ただしこの時期の旅は日暮れとの闘い。天気にもよりますが、16時を過ぎると外は真っ暗になります。物理的にはちゃんと乗車しているものの、気分的にはう〜ん...。というわけで今日は、秋田新幹線と東北新幹線を乗り継ぎ、郡山へ。
そこから磐越西線で新潟県へ...というプラン。
計画は完璧...というより便数が少ないので、誰でも考えることができる案です。それはともかく、久しぶり──10年ぶりくらいじゃないだろうか──に秋田新幹線に乗車します。
車窓から、高齢女性が子熊に襲われた羽後長野駅付近も確認しました。この辺りから田沢湖線は、まるで山岳路線に。写真は田沢湖駅付近で撮影したもの。高い山々は見事に冠雪しています。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)。原寸切り出し)
よぉーく見ると、ハクチョウが3羽。ここからは風光明媚(ふうこうめいび)。でも雪が積もると、個人的には「地獄とはこんな場所か...」と思える時があります。それにしても、よくまぁ、こんな場所に鉄道を敷設したものだ。
県境の長いトンネルを抜けると、雰囲気は一変。盛岡駅で「やまびこ」号と連結し、乗換駅の仙台に向けて快調に走行...が、微かに減速。先行列車との間隔調整かなと考えたのですが平日だし、混み合う時間帯ではない。
やがてはっきりと減速し、ついに停車。ここでやっと案内放送が。音量が低くはっきりと聞き取れなかったのですが、「この先、線路内に...」。乗り換えまで約15分の余裕があります。安全確認が取れたら発車するだろうと期待していたのですが、止まったまま。
いつまで待っても、止まったまま。やがてアナウンスの内容を聞き取ることができました。「線路内にハクチョウがいるため...」。おそらく負傷していて飛翔できないのでしょう。「係員が到着し...」が、しばらくしてから「確保、撤去(!!)しました」に。
この間、約40分。ハクチョウが助かった(たぶん)のは言祝(ことほ)ぐべきことですが、こちらの段取りはグチャグチャ。遅れを拡大させるわけにはいかないので、センセイが乗車するはずの「やまびこ」は見切り発車しているはず。(実際、その通り)
最悪の場合、新潟入りは深夜になります。もはやルートについても磐越西線にこだわる必要はなく、大宮経由で上越新幹線に乗り継ぐという方法もあります。ネット情報なし──実はここ数ヵ月、iPhone SE(2nd)のデータ通信を使用していない──で、代案を練ります。
結果的に、予定通り新津行きの磐越西線各駅停車に乗車。天気が悪化するとともに窓の外が暗くなってしまい、期待していた撮影はほとんど不可。でも、まぁ、これも鉄道の旅の醍醐味(だいごみ)。人生だって同じようなもの。しかもよくよく考えれば、人生は常に負け戦。
ただし最善の着地点を目指しての、です。というわけで、新潟に無事到着したのですが、天気は大荒れ。実は駅前のホテルは高層ビルの中にあるため、強風でゆっくりと揺れており、あちこちでぎしぎしと音を立てています。まるで長距離フェリーに乗車しているかのよう。
ま、それは受け入れるしかない。問題は、明日、新潟県内の列車がそれなりに運行できるかどうか。新潟駅にはすでに、明日の運行に関して「遅れや運休が発生する場合...」との掲示が。
冗談抜きで、明日はどうなる?!
■12月2日(火) 優等列車が走った本線なのに... ──奥羽本線一部区間で架線撤去、非電化化──
東北ツアー3日目。今日の行程は単純。
秋田を起点に、在来線各駅停車および代行バスを乗り継いで、後述するコースをぐるっと一周するというもの。どちら周りでもいいのですが、いずれにせよ羽越本線の列車の少なさ──というより、ない──がネック。
どうやっても途中の駅で長時間待たされます、
そこで当初案通り、9時過ぎの羽越線で南下して酒田へ移動することにしました。この近辺は日中だけでも30回以上、夜行寝台特急を含めれば50回近く乗車している区間です。
でも実は、各駅停車で移動するのは初めて。秋田駅出発時は20%くらいの乗車率でしたが、最後の方になると車内はセンセイともう一人だけに。沿線の風景の印象は、特急乗車時とかなり異なります。
周囲に迷惑にならなければ窓の一部を開けることができるので、象潟もきれいに撮影できました。象潟はかつて松島のような島々でした。松尾芭蕉も『おくのほそ道』の中で言及しています。それが1804年の象潟地震で全体が隆起して現在の地形に。
海沿いの区間は、日本海が美しい。2時間で酒田到着。待ち時間があるので、地下道を通って駅裏にあるスーパーでお昼を購入します。何回も訪れているだけでなく複数回宿泊しているので、いわば勝手知ったる酒田なのです。
お昼過ぎにここから「陸羽西線」に乗車して新庄へ移動する予定。
ただし同線は並行する国道47号線「(仮)高屋トンネル」工事の関係で現在運休中。そこで昨日に引き続き、この区間も代行バスに乗車。
乗車したのは約15名。米坂線と違って文字通りの「代行」バス。悲壮感なんてこれっぽっちも感じません。各駅停車ではなく快速便なのでまず余目駅前に停車。
高校生を含めて数人が入れ替わりました。ここから先は国道を快調に走行します。並行する陸羽西線はきちんと手入れされています、信号機もが見えたので注意していると、何と2両編成の列車が高速で迫ってきました。
もちろん無人。来年1月に鉄道の運行を再開する──だから乗車した──ので、列車の試運転か運転士の習熟運転中と考えられます。最上川がグッと迫り、山が険しくなってきます。
不意に、件(くだん)のトンネル工事現場が。
険しい崖の中腹を、縫うように走る陸羽西線のすぐ下(!!)で、トンネル掘削工事中。線路下の崖も鉄板で補強していました。運転見合わせになるわけだ。
アレッと思ったら、最上川の舟下りとすれ違いました。最上川で見るのは初めてです。険しい山と川が急に穏やかになったかと思ったら、ほどなく新庄到着。
実は昨日ご紹介した山形県高校訪問の際、往路は鶴岡と酒田の高校を訪れてから、この国道47号線で新庄を通過して、山形市内で宿泊しています。
陸羽西線については、列車側も道路側も概ね記憶どおりでした。新庄駅では何度も乗り換えていますが、駅舎の外へちゃんと出たのは初めてだと思う。時間があるのでちょっと街巡りをするつもりだったのですが、予想外にコンパクト。
駅前付近を一周しただけで駅に戻ってしまいました。さてここからが今日のハイライト。
時間をつぶし損ねたので、1時間以上ホームでウロウロしてから電気式気動車に乗車しました。基本的には、奥羽本線で秋田へ戻るだけ。
かつては優等列車が多数走っていた由緒正しい奥羽本線。でも山形新幹線の開通と、その新庄延伸に伴い、福島─新庄間は狭軌から標準軌へ改軌されました。つまり直通運転が不可能に。
その結果、新庄駅と、秋田新幹線が方向転換する大曲駅(秋田県)の間は実質的にローカル線化。しかも昨年7月発生した水害によって、この地域は非常に大きな被害を受けました。奥羽本線も不通となり、今年の4月にやっと運転を再開しています。
個人的にはこの区間も乗車しています。でも新庄─横手間は1回しか乗っていないはず。横手─大曲間については、秋田側から北上線はもう1回乗車しています。つまり、かなりのご無沙汰。
しかも、その時の印象は薄い。
加えて、今回どうしても確かめたいことが...というところで、20名弱の乗客を乗せた気動車(最後の写真左側)は、新庄駅を定刻に発車。
列車先頭、通路の窓越しに何とか撮影したのが、3、4枚目の写真。3枚目はまだ新庄駅構内。左に分岐した線路は陸羽西線で、数百m先で左(=西)へ向かいます。4枚目は新庄駅構内を出た奥羽本線。
両者には決定的な違いがあるのですが、おわかりでしょうか...。ただし、そもそも難しいと思う。また、すでにかなり暗くなっているため感度を目一杯上げているし、コンパクトデジカメで揺れに耐えながらの撮影。
そのため、ポイントを絞り切れていません。だから正直なところ、よくわからない方が大半のはず。そこで客席の窓から隣の線路を見上げるようにして撮影したのが右の写真。
実は、一部区間では架線が撤去されているのです。少なくとも新庄─真室川(まむろがわ)区間は電柱や饋(き)電線(電力を給電する線)が残されていました。
でも架線(トロリ線)は完全に撤去されています。他の区間については架線が残っていたり、いなかったりという状況。これは被害が大きかったという理由とともに、輸送量の現状に合わせて設備をスケールダウンしたため。
奥羽本線は幹線なの(/だった)で、路盤やレールは幹線用。しかも1975年には全区間が交流電化されています。されど今となっては、新庄以北の一部区間ではそれが「お荷物」に。センセイを乗せた気動車の行先は横堀駅。
でも、一つ手前の院内駅から秋田行きの各駅停車がこれまで通り運行されています。そこで同駅始発のワンマン列車──乗車時は無人だった──に乗り換えました。このころにはもう真っ暗で、もう何が何だかさっぱりわかりません。
何だか地方の鉄道の現状を...否、地方の厳しさを象徴しているかのようです。
■12月1日(月) たぶん、人生最後のJR米坂線今泉駅 ──センセイは、バスに乗って鉄分補給──
サブタイトルは、決して間違えたわけではありません。
昨日お伝えしたようにセンセイは現在移動中(今晩から秋田市に2泊する)。3年前の退職後、この時期はJR東日本の高齢者会員用パスを使って東日本あるいは北海道を旅することを考えるようになりました。
残念ながら一昨年は、その最中に甥が急逝し、新潟へとんぼ返り。また昨年は実家の近くに嫁いだ伯母が老衰で亡くなりました。事情があってその葬儀等を実質的に仕切ったため、チケットは払い戻し。いずれも仕方ない。この他にも、例えば「青春18きっぷ」や、「鉄道の日」記念「秋の乗り放題パス」を使うことも可能なのです。
でもここ数年、春から秋の半ばまで異常な高温。体力以上に気力を削(そ)がれてしまい、なかなか鉄分を補給できないという結果に。今年も同様だったのですが、気温が低下──というより急降下──すると、それに対応するかのように鉄分不足を自覚するように。
そこで今回、東北地方南部(秋田市が北限)訪問を立案しました。ご存じのように、この地域のJR線は水郡線の支線を含めて完全に乗車しています。本当は昨年断念した非常に良くできたプランを実行しようかと考えていたのです。ただしこの案には、この冬ならではの問題が。
原案は秋田を起点にして青森まで往復。
それだけではつまらないので、旧奥羽本線の矢立峠つまり青森県と秋田県の県境の鉄道遺構を、何と、徒歩で走破してみようというもの。
でも旧線区間は国道から外れて、少し山の中に入ります。冗談抜きでお腹を空かせた熊に遭遇する可能性が。そこで、基本的には列車に乗車したままで、しかも「今ならでは」という場所を訪れることに。
具体的には東北南部の日本海側に、災害や工事で不通となっている(/いた)区間があるのです。前者の一つが山形県の米沢駅と新潟県の坂町駅を結んでいる「米坂線」。2022年8月3日の豪雨で大変な被害を受け現在、今泉駅(山形県)と坂町駅の間が不通。
この間は代行バスが運行されています。個人的には大好きな米坂線。被災後は当然、誰もが復旧工事...と考えたのですが、運行するJR東日本は本格的な復旧には着手せず。被害の甚大さつまり復旧費用が一つの要因。
でもそもそも、米坂線は赤字路線であり、復旧しても利用者の増加が見込めないためです。
現在、JRと関係自治体との間で廃止やバス路線化、いわゆる「上下分離」などの案が検討されていますがなかなか先に進みません。。
復旧するのが先か、センセイが物理的に存在しなくなるのが先かわからないので、今回のツアーの目的として代行バスに乗車することに。今朝は山形新幹線(E3系)に乗車して郡山から米沢へ移動。1時間ほど待ち時間があるので東口のスーパーでお昼その他を購入して駅に戻ります。
程なく2両編成の気動車が到着。折り返し、今泉行きとなります。やや意外だったのが乗客の人数。通勤通学の時間帯ではないのですが、それにしても少ない。下車したのは約10名。乗車したのはパス利用者数名と近隣住人を含めて15名くらい。
1枚目の写真は今泉駅と到着した代行バス。新潟交通の観光バスでした。今泉駅は大好きな駅で、何度も乗り降りしています)。またこの駅前は、紀行作家の宮脇俊三が、父親とともにラジオで終戦の詔勅(しょうちょく)を聞いた場所。下車駅を申告してバスに乗車します。
乗り込んだのは約10名。
文字通り「代行」バスなので、各駅に丁寧に止まります(大型バスが入ることができない駅は、道路わきに臨時バス停を設置)。何度も乗っている米坂線。
でも道路上から見ると印象がかなり違います。以前、只見線で同じ経験をしています。米坂線は概ね国道113号線に並行しているのですが、実は西村センセイ、山形県内の高校を訪問した帰路国道113号線を自分の車で運転したことが。
前任校時代の、たぶん1994年8月のことです。
途中で速度違反の取り締まりを行っていた──もちろんパス──ことを含めて、よく覚えていますし、一部は大幅に改良されていたものの、国道側もほぼ記憶どおりでした。
今回は列車と自動車両方の視点を比べながら米坂線について立体的に考えるという貴重な経験でした。さて、気になるのが被害の状況。山形県内は全般的に被害は軽微。ただし線路わきの崖が崩れて線路に土砂が入り込んでいる場所も。
申し訳ありませんが、写真撮影には失敗しました。
新潟県側の被害が大きいのですが、バスの中からはっきりと確認できたのは沢から土砂が流れ込んで線路が埋まっている場所だけ。
わかりにくくて申し訳ないのですが、それが2枚目の写真。国道113号線より少し高い場所(フェンスの向こう側)に線路があるのですが、左上の小さな沢から流れ込んできた茶色の土砂で埋め尽くされています。なぜかこの場所は復旧作業中。
最近の水害の復旧工事なのかも。新潟県内では2名ほど地元客が乗り降りして、無事坂町到着。正直なところ、JRが米坂線を(少なくとも一部区間)廃止したいという事情は良くわかります。
そしてもう一つ。直接明白な被害を受けていない区間も完全に叢(くさむら)と化しており、線路がまるで見えない場所も。しかも低木まで生えている区間があります。(3、4枚目の写真)
本当に物悲しくなってきます。さて、明日は重い荷物をホテルに置いて...。(続く)
■11月30日(日) 「もぉにんぐ」が道路の左側だったら... ──JR犀潟駅を初めて訪れました(2)──
JR犀潟駅までのお話、最終回。
北陸新幹線が開業し、金沢までの移動手段を電車から自動車に切り替えて気づいたことが。それは犀潟駅前にある小さな「もぉにんぐ」というお店。車を運転しながら、「へぇー、こんな所に...」と感じたことを覚えています。
国道8号線に面した便利な場所。ただし、お店の前に駐車場はありません。少し離れた場所にあるのですが、案内や駐車場の表示が小さくて、初めて自動車で訪れたお客が見つけるのは無理。もともとは古いタイプのコンビニだったのではと推測しています。
コンビニが田舎に登場し始めた頃、駐車場がなかった(!!)り、あったとしても普通車数台用しかないコンビニが存在したのです。最近のコンビニは大型トラックも利用できる広い駐車場を備えているのが普通。そのためコンビニとしてはある時、淘汰されたのでは...と考えています(間違っているかも)。いずれにせよ、センセイがその気づいた時は、コーヒーや軽食を提供するお店に。
お店の方には大変申し訳ないのですが、最初に感じたのは「駐車場なしで、やっていけるのかなぁー」。
でも大外れ。ご覧のようにちゃんと営業を続けていらっしゃいます。しかもネット上での評判は良い(例えば「ほっくほくマガジンWeb」)。白状すると、入ろうと思った場面もあったのです。
金沢への移動時、自宅から約35分でここに到達します。睡眠不良のためか、出発したばかりだというのに眠気を感じてコーヒーを飲みたくなる時が。ここを過ぎると、交通量の多い上越市街地(旧直江津市)に入ることも頭にあります。
でも「もぉにんぐ」は国道8号線の北側つまり進行方向右側。ドライバーなら即座に同意していただけると思いますが、入りにくい(その頃は、駐車場がないと思い込んでいた)。その後、長距離運転時には必ず「カフェロップ」を用意するように。
往路での必要性はぐっと減りました。。帰宅時はというと、混雑する旧直江津市を抜けて「やれやれ」という場面。しかももう少し運転すれば自宅なので、なかなか立ち寄ろうという気になりません。
そこでこの機会に、と、せめて徒歩でお店の様子を...と考えた次第。なお、実際には悪天候下だったのでそんなにしっかりと確認できたわけではないことをご承知おきください。
建物はやはり、古いコンビニを再利用したという感じ。入ったばかりの所にカウンター、右側2/3くらいが飲食用のスペースで、後者は考えていたよりずっと広い。
帰りの電車の時刻が迫っていたので入ることはできませんでしたが、応援したいお店です。「もぉにんぐ」の真正面には横断歩道。それを渡ると10秒で犀潟駅。駅駐車場に車を止め、一時的に留置されていたトキ鉄所属の“ETR-R-01”(こちらやこちら。実際には“ENR-1000”(2枚目の写真)そのもの)を撮影した。
でも犀潟駅舎に入るのは初めて。簡易な駅舎の土底浜駅あるいは大幅にリニューアルした潟町駅と違って、犀潟駅は質実剛健という感じ。実用性一点張りで余計なものはなし。以前ご紹介した小山作之助の旗が見えます。
誤解されると困るのですが、きちんとメンテナンス──最近、駅舎外壁を塗り直したらしい──されており、暖房中。犀潟駅はJR所属ですが、同時に北越急行(「ほくほく線」)が乗り入れており、その終点となっています。(ただし列車の大半はJR線に乗り入れて、直江津まで運行される)
程なく到着した信越本線の各駅停車に乗車して帰宅。大したことをしたわけではありませんが、ちょっと心残りだったことを片付けたので、気分的には「やれやれ」。金曜日はストレスを強いられる日だし、午後も運転もしたので「どうなるかなぁー」と思いながら血圧を測定。
結果は、正常値をクリアできず。「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は130mmHg。現在「正常値」の上限は129mmHgとされているので(なお、「下」は77mmHg)。他方、極端に高いわけでもない。血圧が通常の状態に戻ったのは翌朝。
ま、いっかー。何より、これが事実。
昨日と今日は駅や列車は関係するものの、実質的には近隣の飲食店の話題(ただし、どのお店にも入っていないという問題がある)。つまり鉄道ネタとは言えません。でも実は西村センセイ、現在、福島県郡山市に滞在。
つまり、しっかりと鉄分補給中。明日以降、その詳細をお伝えできると思います。
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