2025年6月21日更新(2025年6月29日ページ移動)
■6月21日(土) でも、ま、これなら得心できるかな... ──「人間はどこまでも慣れる存在」らしい──
実質的には約1ヶ月ぶりに、血圧のお話。
1枚目のグラフは過去7年間の全記録(拡大写真(別ウィンドウ、1280×936))。何度かお伝えしているように退職(グラフ右側約2/5)後、センセイの血圧は基本的に大幅に低下。やはり宮仕えは大変だったらしい。
ただし毎日同じようなデータかというと、そうでもない。公私の行事がない日は安定しているのですが、何か入るとたちまち急上昇。特にイベントや葬式騒ぎ(こちらやこちら)で顕著。そしてもう一つ見落とすことができない要因が講義。退職した2023年は前学期のみ、金沢工大大学院で講義。
この時は全回、電車で移動しています。
翌2024年度は金沢工大に加えて、夏期と冬季に前任校での集中講義が。しかも金沢との往復は自動車が主に。
加齢に伴い集中講義は無理だと判断して、今年度は前任校の講義を通常の開講にしていただきました。つまり前期(金沢工大の「前学期」)は毎週、金沢と県北部を行ったり来たり。
高齢者にとってはかなりの身体的な負担ですから当然、血圧も上昇します。右のグラフは全データが記録されていますから、よぉーく読むと、たとえば電車での移動より自動車の方が大変そうだ...など、かなり微妙な変化まで読み取ることができるのです。
ただし微妙な点を把握しにくい。たとえば退職直後の2023年に比べて、2年後および3年後の去年と今年(グラフ右端)はかなり高く感じられます。もちろんそのような日があったことは事実。
でも先週少し触れたように、毎日そうだったわけでもない。何とかこの微妙な変化をお伝え...と考えていたのですが、なかなか上手く表現することができずにいました。で、今回、新たに挑戦したのが2枚目のグラフ。(拡大写真(別ウィンドウ、1198×857))
1枚目のグラフから、今年度の3ヶ月分を切り出したものです。
横軸は時間軸(7日刻み)。縦軸が朝晩の血圧(「収縮期血圧」および「弛緩期血圧」の3回移動平均の最低)で、単位はmmHg。赤い2本の線は正常値の上限。
1週間を単位として、見事なまでに規則的に変動しています。ファミリーのイベントがあった5月上旬や、最近2週間の体調不良(右端の2つの山)を除けば、個人的には講義およびそれに伴う移動に、さほどのストレスは感じていないのです。
ただし高齢者の身体にしてみれば、話は別。講義のある日は血圧、特に「収縮期血圧」が基準値をあっさりとオーバー。他方、翌々日くらいには何ら問題ない値に戻っていることもまた、事実。
たとえば昨晩は暑かったのですが、それでも意識して休んだためか、日中の「平均」は121mmHg。今朝は112mmHgで、最高気温34.3℃の中を歩き、帰宅後に測定した日中は101mmHg(グラフ右端)。ちなみに個別最低記録は96mmHg。
他方、日による変動が大きいこともまた事実。「平均」ですら60mmHg以上違いますし、個別データに至っては70mmHg以上もの変動。でも、ま、2枚目のグラフなら最近の体感値とかなり一致。同時に印象はともかく、1枚目のグラフとの間に齟齬(そご)もありません。
ま、これなら得心(とくしん)できるかな。やはり「人間はなにごとにも慣れる存在」(こちらやこちら)らしい。
なお今回は、さほど深い意味で用いているわけではありません。
■6月20日(金) 設計思想が、良くわからない... ──センセイの体調はまだ、回復の途中らしい──
客観的に考えるとやはり、センセイはこの2週間ほど体調不調らしい。
「往復の電車の中でウトウトしたから...」というほど単純ではありませんが、それでも昨日までに調子はほぼ元に戻った、と考えていたのです。昨晩までは。ところが昨日の帰りにスーパーで買ったお刺身でビールを頂いても...何だか美味しくない。
味覚も問題なのですが、お腹の調子がイマイチ。途中から妙に膨満(ぼうまん)感がしてきて、晩酌どころではなくなってきました。いつもより少ないビールで諦めて、昨晩はおとなしく就寝。ただしまだエアコンを作動させていないので、室温は高い。
う〜ん、果たして昨晩はどれだけ休めたのだろうか。加えて今日は金曜日。つまり実家での家族サービスの日。特に今日は通院する母親を送り迎えすることになっており、いつもより1時間早く起床。といっても前任校での講義がある昨日より1時間遅れですが。
何か大きな問題が発生したわけではないのですが、用をすべて済ませてお昼に戻ると、その後はひたすらゴロゴロ。倖い、金沢工大大学院および前任校ともに講義の山場を越えており、各大学あるいは受講生から至急のメールは届いていません。だから今週末は割とゆっくり休めそう。今週の実家の用も、一区切りついたし。
写真は自宅近くを歩いている時に撮影したもの。
これまで多用途に用いられてた近くの空き地で、2ヶ月くらい前からアパートの建設工事が始まったのです。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
現場前の掲示は「木造2階建て長屋住宅」。(原文ママ)近年良く目にする構造の集合住宅で、写真右側に1階および2階への玄関ドアがずらっと並んでいます。敷地は奥に長く、建物の左側が駐車場として用いられるはず。
ごく普通の...と言いたいところですが、センセイには良くわからないことが。それは駐車場と玄関との位置関係。写真右側が各室の玄関ですから、右から水回り、そして左端が居住スペースと配置されるはず。ちなみに左側は南。
だから居住区の日当たりは良い。何も問題がないように思えますが、実際にここで暮らす方の身になってみると、印象が印象がずいぶん変わってます。夕方、疲れ切った身体を引きずって帰宅し、車を左側の駐車場へ。
すぐにベッドへ...と思っても、目の前に広がるのは他室の居住スペース。立場を入れ換えると居間の日当たりは良いものの、駐車場の他者の目が気になってカーテンを開けることができない/難しい。玄関に辿りつこうとしても、ひとまず写真手前の道路側に出る必要が。
つまり居住者の動線が道路側および建物右側に集中。道路側の部屋の居住者は、道路通行に多さに加えて、居住者の往来にも気を使うことに。建物右側は、隣の自動車販売店との境界に接しています。余裕は1.5mくらい。ただし各室玄関へのアプローチを考えると、さらに狭くなる可能性があります。
それでも、慣れてしまえばふだんは問題ないかも。引っ越しなど荷物を出し入れする時は問題が出ると思いますが、ま、その時は、センセイが金沢のアパートを引き払った時のように、居住スペース側の大きな窓を使用して搬入/搬出するという方法もありますが。
ちなみにもう一つ、当地ならではの冬の問題が。手前の道路はほぼ南北に走っています。つまり玄関ドアは北向き。
冬季は右奥から強い風雪が玄関ドア前に吹き付け、状況によっては雪の山ができます。除雪しないと出入りできませんが、雪を捨てる場所が狭い。隣の販売店敷地に投げ入れるわけにはいきませんからね。
かようにお洒落なんだけど、住む人の身になって考えると良くわからないことだらけ。でも道路に面した部屋の騒音なんて、人によっては大したことなのかも。写真右側、自動車販売店はJR信越本線に面しています。電車なら踏切との音と走行音がうるさいし、貨物列車なら騒音加えてかなり激しい振動が。
それを承知の上で借用し、お住まいになるのでしょうから。だから、ま、いいんですけど。
■6月19日(木) 酷いこの暑さの影響か、抜けない疲れのためか西村センセイ、公共の場で大ボケする
タイトル通り、トホホなお話。
金沢工大大学院の講義は、先週が山場。だからどうしても無理をしてしまいがちで、疲れがなかなか抜けません。同級生のドクターに指摘されるまでもなく、風邪を引いてしまったのもそのためでしょう。
それ以降、できるだけ休息するようにしているのですが、働かないわけにもいかない。今日は前任校での講義。ゆっくり起床できる自動車での移動も考えたのですが、やはりここは安全最優先。早起きしなければならないので早めに就寝したのですが、今朝もまだ暗いうちに目覚めてしまいました。
夏至つまり1年の中で昼が最も長くなる日は今週末の21日。ただし地球の公転軌道は楕円なので、夏至の日に最も早く日が昇るわけではありません。先週後半から今週前半にかけてがその時期で、4時前には明るくなってしまいます。疲れ過ぎとは別に、この明るさも寝不足の原因。
5時過ぎに起床して早朝の電車に乗り込みます。
長岡駅で電車を乗り継いだのですが、発車後15分くらいで眠くなってきました。講義の準備は終えているので、ここは逆らいません。気がつくともう、新潟駅の近く。
前任校での講義もちょうど山場。ただしこちらはセンセイの専門なので、少し積み残しが出たものの、問題なく終了。例によって学食でのお昼は食べられず、受講生と一緒に帰りの学バスに乗車。
新潟駅で白新線から信越本線に乗り換えます。すると今度もまたウトウト。長岡駅の手前で目が覚めました。最後のワンマン電車に乗車したのですが、さすがに今度は寝たりしません。でもどこか注意力が散漫。
スーパーで晩酌のツマミを買い求める必要があるので、柏崎駅の一つ手前の駅で下車します。無人駅なので、列車最前部のドアしか開きません。女性運転士に乗車券を見せて途中下車した──有効区間はもっと先まで──のですが、何だか陽射しが眩しすぎます...あ"っ!
座っていた2両目の座席に、帽子を残してきてしまいました。西村センセイ、下車する時には必ず忘れ物がないか確認するのです。もちろん今回も。ただしお察しの通り、視認したのは座席だけで、上の棚をチェックし損ねました。列車はドアが閉まるところ。
さて、どうしよう。いろいろ考えた末、窓の外から女性運転士にその旨を告げたところ、「取ってきて欲しい」とのこと。この列車、さらに一つ前の「安田」駅から大勢の高校生が乗り込み、かなりの混雑になっています。
その中を抜けて帽子を取り、運転士に会釈しつつ列車最前部ドアから下車。というわけで結果的には問題なく終了したと言うことも可能。ただし高校生の乗車で列車が遅れ気味だったところにセンセイの忘れ物騒ぎ。センセイの件だけで1分半から2分近くの遅延が発生したはず。
もっとも、ワンマン列車はこの種のトラブルに対応すべくダイヤに余裕を持たせているため、運行側にとっての問題はほぼ存在しないのですが。スーパーでお刺身──今日も良いものがなかった──購入後、ふと気づいてJR東日本の列車運行状況アプリ「どこトレ」(リンクはPC版。写真はスマートフォン版)を開いてみました。もう30分以上経過しているので、列車(左の赤丸)はすいぶん遠くへ。
当該列車のシンボルをタップしたのが右の画面。下部の到着予定時刻表示とともに、上部には「遅延1分」。制限速度を遵守しつつ、速めに走行する「回復運転」で遅れはほとんど解消されています。
それはともかく、乗客およびJR関係者の皆様、ゴメンなさい。
トホホ。
■6月18日(水) お父さんは、心配だ...(終) ──金沢工大のりんごは、「連れ合い」の木が半分...
──
「立ち枯れ」状態なのです。半分が。
暑い。とにかく暑い。センセイの行動に即していえば、昨日の金沢移動時、車外気温計が示した最高気温は31.5℃(0.5℃刻み)。今日は無事に帰宅したのですが、最高30.0℃。アメダスによると、当地の今日の最高気温は31.5℃とのこと。
もちろん数値だけを見れば盛夏より数℃低いのです。
ただし人間の方はまだ暑さに慣れていないので、冗談抜きで体調を崩しがち。リズムが崩れる、という感じ エアコンが効いた車内にいても、車外の高温がひしひしと伝わってきます。
個人的にはお伝えしたように、昨日が最悪。血圧が体調のすべてを語っているとは思いませんが、昨晩はビックリするほどの高さだったし、ゆっくり休んだはずの今朝も高い。やはり身体はずっと緊張を強いられているようです。
冗談抜きで、反省。今日は高速道路こそ利用しなかった──不通区間を除く──ものの、できるだけ余裕を持たせながら運転。その分、いつもより時間がかかりました。
かなり疲れていたようで、今晩の血圧も正常値の上限(130mmHg)をクリアできませんでした。それでもホームグラウンドに戻ったからか、「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は137mmHgと、まぁ、我慢できるレベルに戻りました。
不覚にも少しウトウトしてしまったのですが、気分はスッキリ。昨日はとてもこんな感じじゃなかった。やはり相当疲労していたんだろうなぁ(再び反省)。
あまりに暑かったため前フリが以上に長くなってしまいました。1枚目の写真は昨日、金沢工大大学院での講義を終えてから撮影したもの。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
概ね北西方向を見ています。西に沈みつつある夕日──だから木々の陰が長い──を受けて輝いているのは「ニュートンのりんごの木」...ではなく、実を得るため隣に植えていただいたりんごの木。いわば「連れ合い」。
お気づきでしょうか...。よぉーく見ると、幹が途中で分岐しています。木では割と目にしますが、問題は右側。どう見ても正常とは思えません。右の写真は幹のクローズアップ。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
今朝、1枚目の写真の右側から撮影したため、光線の具合がかなり異なっています。中央やや左寄りが問題の幹(1枚目の右側)。右隣が健全な幹。ちなみに、写真右端に「ニュートンのりんごの木」が見えています。かなり傾いていますが、こちらは元気そう。
で、問題の幹。樹皮がかなり捲れ上がっており、生きている感じがしません。裏側に回ると、どう見ても完全な枯れ木。今まで「ニュートンのりんごの木」ばかり注目していたため、異変に気づくのが遅れました。
その点、本当に申し訳ない。(最後の)お父さんは、心配だ... 。
ただし前任校および予算の乏しい母校はともかく金沢工大の「りんごの木」については大学の看板の一つということもあり、施設部が責任を持って対応してくださるはず。実際、ちゃんとメンテナンスして下さっているし。
当然、「連れ合い」のこのトラブルも認識しているはず。それにそもそも実の娘同様、「ニュートンのりんごの木」(および連れ合い)はいずれも、すでにセンセイの手を離れています。
親はいなくなっても、何とか生き延びてね。
■6月17日(火) お父さんは、心配だ...(2) ──母校の「りんごの木」は、葉の一部が縮んできた──
今日は金沢へ移動し、午後に大学院の講義。
いつものように自宅を発ったのですが、ちょっと“Freude am Fahren(「駆け抜ける喜び」(BMW JAPANの訳))”ではないことに気づきました。整備を終えたばかりの愛車に問題があるわけではないのです。
極めて滑らかな走り。つまりBMWは、センセイの側に何らかの問題があることを伝えています(ここがBMWの凄いところ)。正直なところ思い当たる節はない。でも確かに今朝、食事後に眠気を催す可能性がある総合感冒薬を服用した。
さらに昨日から急に暑くなった。
いつもの時刻に起きたので、睡眠時間は十分確保しているはずなのです。でもよく考えると、暑さに身体がまだ慣れていないため、昨晩の眠りはかなり浅かったらしい。
実際、今朝は暗いうちに何度か目が覚めた。眠気はまったく感じていないのですが、念のために「カフェロップ」を服用。ただし今日は効果がありません。どうやら本人の自覚より、実際の体調は悪いらしい。
まぁ、病み上がり(正確にはその途中)だし...。安全を優先し、今日は富山市を(好きでない)高速道路で迂回します。おかげで無事に金沢工大到着。配布資料を印刷して講義に臨みました。
大きな問題があったわけではないのですが、いくつか失念した点が。やはり体調は、万全というわけではない。(本当に、反省)
「体調」に関していうと、実はこちらも心配。センセイの母校である新潟県立柏崎高等学校に植樹した「ニュートンのりんごの木」です。
写真はいずれも、「えんま市」期間中に撮影したもの。1枚目は全体の様子(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))。前回は北東方向を向いて撮影していますが、今回は北西方向。この間、1カ月半が経過。
お伝えしていませんが、実は前回以降も時々この木を訪れています。その際、複数の「幼果」を確認していたので「順調に生長して」...と願っていたのですが、実が見当たりません。確認できたのは右の写真のもの(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))と、もう1個だけ。
他の実は、どこへ消えた?りんごの実は割と簡単に落果するのですが、それも見当たらないのです。そしてそれ以上に心配なのが、葉。なぜか一部が皺くちゃで、中には変色して枯れてしまったものの。
1枚目の拡大写真でも、確認できます。植物にとっての葉は、人間の肺や心臓のような役目を果たしているはず。ここ半月くらいの間に、何らかの病気に罹患(りかん)したんだろうと推測されます。
(再び)さて、どうしたものか...。
「お父さん」の心配事は尽きないのです。
■6月16日(月) 週末と平日で、雰囲気がずいぶん違う... ──地域最大のイベント「えんま市」開催──
地域最大のイベント「えんま市」(昨年の様子)が一昨日から今日まで開催されています。(報道例:全文を読むためには登録が必要)
お伝えしたように、センセイは酷い風邪を引いてしまいましたが、それでも雨が上がった昨日の午後と、今日の午後にそれぞれ訪れてみました。後述するように、この地に生まれた者は「行かなければならない」行事なので。
ホントに。「えんま市」は開催日が6月14日〜16日と決まっています。そのため開催曜日は毎年少しずつずれ、今年は土曜日から月曜日にかけての開催。当然、人出は動きやすい週末の方が多い。他方、今年は土曜日から月曜午前中にかけて雨。
時々強く降る場面もあったほど。
そこで雨が上がった日曜日の午後(1、2枚目の写真)と今日の午後(3枚目)に訪れたという次第。カメラを濡らさないようにしながら、「えんま市」を違った角度から見てみたかったのです。
実は「えんま市」会場に入る前の段階からすでに、街の雰囲気はふだんとまったく違っていました。市が始まった一昨日、別の用で駅その他を訪れたのですが、駅前公園の広い駐車場は満車。「えんま市」で訪れる方のために開放しているので、それ自体は当然のこと。
ポイントは車のナンバー。ご当地「長岡」ナンバーが多く、県北部の「新潟」、西部の「上越」が続くのは当然として、他県ナンバーの多さに驚かされます。中には、ふだん見かけない地名も。
「えんま市」も有名になったんですねぇ。会場から少し離れた柏崎市刈羽郡医師会の駐車場には、ワンボックスカーがぎっしり。ただし先ほどの駐車場とは雰囲気が全然違います。
露店を運営する側の駐車場で、こちらはもう、本当に全国各地から。
会場の旧市街地は海岸砂丘の最上部にあります。坂を上ると、おぉ、東本町通りは人々でぎっしり(1枚目)。「足の踏み場も...」と形容したくなるほど。(中央奥は「フォンジェ」の別棟駐車場棟)
お客さんはというと子供連れを中心に、実に多種多様。ただし、よぉーく見ていると、「軽い」お客さんがメインであることに気づかされます。露店の方はというと焼きそばや菓子類などの飲食物を中心に、おもちゃなど。
センセイが子供の頃、かろうじて残っていた反物などお店はもう数十年見ていません。メイン会場から少し離れた場所(海岸砂丘の下)に、文字通り「軒を連ねて」いた植木市(3枚目の写真)も、去年を最後に完全撤退。そん中、唯一実用品をお店も。
それが母校前の通りに出店している瀬戸物店。実際に購入するかどうかは別としても、お客さんの雰囲気は1枚目と大きく異なります。いろいろ感じながら昨日はご帰宅。今日の午前中はひたすら講義の準備。
これがセンセイの本業なので。
他の用を片付けてからだったので、「えんま市」会場に入ったのは15時頃。児童生徒が放課となり、その一部が「えんま市」を訪れ始める時間。
ただし小学校の中・低学年は保護者が帰宅していないのでまだ無理。右の写真は肝心要の「閻魔堂」。前日もそうでしたが、皆さん熱心にお参りしていらっしゃいます。お気づきかと思いますが、客層がずいぶん違います。
子供たちとその保護者、そして若者が目立つのは当然として、驚くほど高齢者が多い。一昨年、当時満93歳だった父親が、一人で自転車を数km漕いで電車に乗り、東柏崎駅(旧「比角(ひすみ)」駅)から800mほど歩いて閻魔堂を訪れています。当然、杖をついて...です。
この話を聴いた時は、本当にびっくりしました。「えんま市」はかように、地域住民に深く刻み込まれた存在。実は今日も、瀬戸物店の近くで明らかに100歳に近いと思われる高齢女性が、杖をつきながら一人で市を訪れている場面に遭遇。
ただし「えんま市」の、このような実用的あるいは文化的側面は明らかに、一貫して退潮傾向。代わりに目立つのが、人集めのイベントという側面。実際、「えんま市」を訪れるお客さんはこのところ増加傾向にあります。他方、実は「えんま市」の規模はどんどん縮小。狭くなった会場に今まで以上のお客さんが押し寄せます。
だから「盛り上がっている」と感じてしまうのは当然のこと。でも実際に起きているのは逆の自体。特に、「えんま市」の意義がどんどん希薄になっています。もはや存在理由(“raison d'etre”(“e”にアクサン シルコンフレックスが付く)「レゾンデートル」)すら問われてる段階に入っているように感じられます。
物事には理念と、ある意味での世俗での実用性、そしてその間を意識して往還(おうかん)することによる「肉付け」が重要。これは、センセイが金沢工大に移籍してから学んだことです。理念なきものはいとも簡単に消え去る。もともと本質的な体力がないので。「やっぱり、この(不毛の)地では無理なんだろうなぁ...」ということになるのですが、ある意味、ご安心を。
「えんま市」が終焉(しゅうえん)するのは、まだまだ先のこと。それよりずっと前に、センセイは物理的な存在ではなくなっているはずなので。
■6月15日(日) お父さんは、心配だ... ──前任校の「ニュートンのりんごの木」の幹に黒変が...
──
今日は「父の日」。
だから...というわけではないのですが、結果的に「親」の心配事のお話を。風邪の症状はかなり収まってきたのですが外に出るとまだふらつく場面があるため、新しい話題に入れないという事情もあります。
写真は先週木曜日のお昼に撮影したもの。何度もお伝えしているように木曜日は前任校で講義が。内容的に区切りが良かったし何よりお昼前の講義なので、少し早めに終了させました。すでに撤収モードに入っていた男子学生を先頭に、受講生が食堂へ足早に消えていきます。
心身ともに伸び盛りなので、当然のこと。センセイも後片づけを始めますが、こちらは機材や資料が多いので、どうしても整理終了までに10分ちょっとかかります。食堂を覗いてみたのですが、最寄り佐々木駅行きの学バス発車に間に合いそうもありません。
残念ながら、これは想定内。
今年度に入ってから、まだ一度も大学食堂でお昼を頂いていないので(決して拒絶しているのではなく、単に間に合わない)。持参した菓子パンを頂きます。
給水機でマグボトルに冷水を補給してから、学バスに乗車すべく事務棟前へ...あれっ?!ロータリーの中心には開学記念に植樹された「ニュートンのりんごの木」が。その幹の一部が黒変しているのです。りんごの木を、こちらの写真──「りんごの木」は中央──の反対側から見ています。
イメージ的には「焼け焦げた」あるいは「火傷(やけど)をした」感じ。(別アングル拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))今まで花や葉、そして幼果など、りんごの木の上部に注意が向いていたため、それらを支える肝心な幹の問題を見落としてしまいました。
植樹に直接関係した「親」として、本当に申し訳ない。良く見ると上部に穴のような部分があり、そこから樹液が流れ出しているような。正直なところ、かなり痛々しい。
ご存じのようにセンセイは(動)植物関係のセンスを持ちあわせていません。帰宅後にざっと調べたところ、病気に罹っている可能性が。言うまでもなく、これも素人判断ですが。
この「ニュートンのりんごの木」は、前任校のアイデンティティーに直結する重要な存在。同時に植樹された「連れ合い」──りんごの木の根元の右上に切り株が残っている──は病気で枯れてしまい、すでに伐採されています。せめて「ニュートンのりんごの木」だけでも健康な状態に戻って欲しいのですが...。
さて、どうしたものか。白状すると、「親」としての心配事は尽きないのです。
というのも...。(続く。ただし不連続の見込み)