2025年6月7日更新(2025年6月15日ページ移動)
■6月7日(土) 転んでもただでは... ──これぞ、勘違いで撮影し損ねた国道8号線の「上輪橋」です──
予定を変更してお伝えします。
昨日、金曜日で訪れた実家で、父親からイレギュラーな頼み事が。市内のある場所に連れて行って欲しいというのです。スーパーで食料を調達して実家に戻った後、彼を車の後部座席に乗せます。
彼の手には昔の『住宅地図』。ナシテ?!そもそも訪問理由は不明。おおよその目的地だけを承知しており、平成の大合併で柏崎市になる前の旧西山町町内。ただし昭和の大合併前は、こちらが二田(ふただ)村なのに対して、目的地は隣の内郷(ないごう)村。
地域的な繋がりはそれほど濃くありません。センセイの頭の中は「????」だらけですが、だいたいの目的地の位置はわかっているので、とにかく車を走らせます。すると父親が嬉しそうにいろいろなことを話し始めました。こんな表情、最近見たことがない。
まず目的地は、以前ご紹介した「堂坂トンネル」出口付近らしい。
それならばと、ハクチョウで有名な「長峰大池」脇を通って「堂坂トンネル」へ。この間の彼の説明から、訪問目的も徐々にわかってきました。
これについては後日。無事にトンネルを抜けたのですが、ここから先は「1回来たことがあるだけ」とのこと。実は、目的のお宅もはっきりしていないそうです。だから『住宅地図』だったのね。
それと思(おぼ)しき場所に車を止め、表札を確認させていただきます。どうなることかと心配したのですが、あっさりと2軒目で目的のお宅へ到着(つまり父親の記憶は正しかった)。されど肝心要のお相手が不在。そこで今日、改めて出直すことに。
電話連絡しておいたので、今度こそ目的完了。それはそれでめでたいのですが山道を走行中、センサートラブルが確認されている左後輪から時々異音がするように。最初は気のせいかと思った──というより「願った」──のですが、残念ながら事実は事実。
「キュルキュルッ」というような摩擦音。ただし錆などでブレーキパッドが常に接触している時の金属音ではありまえん。またカーブで遠心力が掛かる時や、加減速で進行方法および逆への力が掛かる時に顕著。実家に到着してから車体下部を確かめたのですが、何かが引っかかっているような気配はありません。
もちろん、タイヤホイールのぐらつきもない。いろいろ考えた末、お世話になっている自動車販売店と相談することに。非営業日なのでどうかなぁーと思ったのですが、倖いなことに社長が応対してくださりました。事情を説明した結果、このまま車をお店へ持ち込むことに。
ちょうど新しいセンサーも届いたそうです。出たり出なかったり──理由は不明──する異音を気にしながら、無事にお店へ。どうやら今日は従業員を休ませて、社長お一人で仕事をしていたらしい。状況からすると車軸のベアリングの問題などが考えられるとのこと。
なるほど...と納得できるのですが、この場合は1週間程度の入庫になるはず。このような経緯で、さしあたり届いたセンサーを交換した上で、今回発生した事象を確かめて頂くことに。このまま車を預けて、来週月曜日にはご連絡を頂くことになっています。ありがたや、ありがたや。
で、センセイはというと、今日は公共交通機関つまり電車で帰るしかありません。ちょうど良い列車が出発した直後だったのですが、ま、しかたない。
ただし発想を転換すれば、これもチャンス。電車の中の窓を開けることができる座席を確保して、隣の「胞姫(よなひめ)橋」と勘違い──トホホ──してしまった「上輪(あげわ)橋」を改めて撮影したのが写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
太陽がかなり傾いているので、赤みがかっています。幹線国道8号線を通行止めにした損傷箇所は橋の左側(=東側)、作業用のゴンドラが係留されている部分の最下部です。
写真をよぉーく見ると写真右下隅を含めて、谷の左右を数本の旧道が走っていることに気づきます。これが旧国道8号線。九十九(つづら)折りの本当に細い道が幹線国道だったのです。さらにその昔は、難所と知られた米山(よねやま)峠。
松尾芭蕉と曽良(そら)も、ここを通って西側の鉢崎(はっさき)に抜けて、「たわら屋」で一泊しています。まさに、歴史がここに積み重ねられています。ちなみに中央奥にちょっとだけ見えるグレーの物体は、北陸自動車道の橋梁(の一部)。いわば現代版「北前船」。
ま、今日は災いを転じて福と為す、かな。
かなり疲れましたけど。
■6月6日(金) 「売り家と唐様で書く三代目」 ──旧市街地の老舗呉服店「花田屋」が今月末で閉店──
昨日、前任校の講義を終えたのは正午過ぎ。
片づけと受講生への対応を終える頃には、大学食堂は学生諸君ですでに混雑。券売機とカウンターの前には長い行列ができています。並んで待ち、お昼を頂いてもいいのですが、JR最寄り駅行きの学バスが出発してしまいます。
まぁ覚悟していたことなので持参した軽いお昼を頂き、学バスへ。最寄り佐々木駅で、受講生数名を含む学生諸君と電車に乗り込みます。一部の学生は途中駅で下車。新潟駅まで一緒の学生もいましたが、そこから先はセンセイだけ。無事に乗り換えたのですが、ここでどっと疲れが。
受講生の有無とは無関係ですので、誤解なきよう。新津駅から東三条駅手前までの記憶がありません。まぁ、休むことができるのが電車利用のメリットなので、感謝すべきなのですが。17時過ぎに帰宅。いつもより遅い夕ご飯を頂いて、2階の書斎へ。
まず最低限のメールその他をやり取り。
慌ただしくて今朝はざっとしか目を通していない新聞2紙と、Web上の各社記事を確認します。地元柏崎市の新聞(Web版)を開いて、え"っ!?
「天保13年創業 老舗衣料品『花田屋』が6月末で閉店へ」という見出しが目に飛び込んできたのです。「花田屋」というのは旧市街地にある老舗呉服店。それが今月末で183年の歴史に幕を降ろすというのです。当然、市民にとっては大きなニュース。
同時に、センセイを含めた多くの人は「遅かれ早かれ...」と考えていたはず。センセイが高校生だった時は旧市街地のアーケード街、それも中心にお店をどんと構えていたのですが、やがて人々の流れは自動車での移動に便利な郊外へ。
それに抗(あらが)うように行われた再開発に伴い、複合商業施設「フォンジェ」ビルの1階入口脇に移転。その「フォンジェ」、オープン当初は多くのお客さんを迎えることができたのですが、人々の流れを変えることはできません。しかもそこに新潟県中越沖地震。
耐震性が低い建物が大半の旧市街地は壊滅状態。客足は戻らず「フォンジェ」は2001年に経営破綻。その後も当然、鳴かず飛ばず。ついには中核店であるスーパーマーケットまでが撤退してしまいました。花田屋も...と思っていたら、1年くらい前にお店に動きが。
「ついに撤退か...」と考えたのですが実際には、お店のエリアを少し縮小させただけ。白状すると西村センセイ、これには別な意味で驚かされました。「それなら、このまま...」と考えたほど(理由は後述)。そこに閉店のニュースが飛び込んできたので、センセイはもう一度ビックリしたという次第。
写真は今日の午前中に撮影したもの。今朝の『新潟日報』には花田屋閉店が大きく伝えられていました。夕方にはWeb版にも掲載されています(全文を読むためには登録が必要)。同紙にも記されていますが、お店は閉じるものの、会社は存続。
アフターサービス継続という意味もあるのでしょう。でも穿った見方をすると、花田屋は「フォンジェ」の地権者。5代目の元社長は第三セクターである「フォンジェ」の社長を兼務。テナントの撤退に伴い「フォンジェ」の経営には公金つまり市の税金が投入されています。
『柏崎日報』によると、3代目花田屋社長と彼の弟が収集した資料を展示する「黒船館」も継続とのこと。「売り家と唐様(からよう)で書く三代目」──知らない人は調べてね──という江戸時代の川柳を思い出す西村センセイ。
もっとも花田屋の場合、3代目ではありませんが。
■6月5日(木) 寝台特急が消滅しても、これで全国の鉄道路線を...?! ──JR貨物の事業用コンテナ──
予定を変更して、2日連続で乗物──と言えるのかぁ? ──のお話を。
木曜日なので講義のため前任校へ。金沢往復の疲れが残ったままですが朝5時過ぎに起床。昨晩の睡眠時間そのものは5時間弱。されど前日の睡眠不足の影響か、割と深く休むことができました。
その影響でしょうか、今朝の血圧(「平均」)は117mmHg。最寄り柏崎駅での快速列車乗車と長岡駅での乗り換えに問題はなく、所定時刻に新潟駅到着。たくさんの通勤通学客が下車します。列車はここで数分停車し、進行方向を変えます。センセイは乗車したまま。
新潟駅を発ち、次のJR東日本東新潟駅に接近した時...あ"っ!?東新潟駅は、北側にあるJR貨物の「東新潟機関区」と接しています。そのさらに北にはJR東日本「新潟新幹線車両センター」つまり新幹線車両基地が。JR貨物は新幹線と在来線に挟まれた格好。
その貨物の一角に写真の「車両」が。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))「コキ」(コキ107型)と呼ばれるコンテナ専用貨車にコンテナ1個が搭載されています。でも、よぉーく見ると、コンテナに3個の「穴」が。実はこれら、いずれも窓。これは人が乗車──もちろん関係者以外不可──するための、特殊なコンテナなのです。
具体的にはJR貨物の事業用コンテナ“ZX45A-1”。
新型貨車の性能を測定する(『毎日新聞』記事・同写真)ためのもので、2個しか製造されていません。その中の1個が現在、東新潟機関区に滞在しているのです。
存在に気づいたのは4月中旬。ところが6月に入ってから、その姿が見えなくなっていました。だから所属先の愛知機関区へ戻されたのだろうと考えていたのですが、おぉ、まだいらっしゃったのね。ただしここは貨物列車の「駅」。
コンテナ貨車が多数配置されており、どうしてもその陰になりがち。撮影できたのは今回が初めてです。ただし荷物の関係で、今日はコンパクトデジカメのみ持参。ファインダーがないので、今回のような望遠端だと被写体を上手く捉えられません。
写真は帰路、改めて撮影したものす。たまたま周囲にコンテナ貨車がなかったため、手摺り越しながらコンテナを含めたコキ全体を撮影することができました。ただしこの間に太陽の位置が変わっているため、コンテナ正面が日陰になっています。
でも、ま、しかたない。先月下旬のローカルニュースで、「東新潟機関区 開設60周年 記念一般公開」に際してこのコンテナが外観のみ公開されたことが報道されていました。ていました。また参加者のブログでもその様子が紹介されています。
だから「まだ、新潟にいたんだぁ...」と思っていたのです。関係者限定とはいえ、考えようによっては貨物列車に乗ってあちこち移動できることになります。一般客向けの寝台特急が消滅しようとする現在、(不可能と知りつつも)これで全国を...などという妄想が頭に浮かびます。
でも実際に乗車したら、すぐに降りたくなるでしょう。貨車のサスペンションは、人間を運搬する列車のそれと構造が大きく異なります。乗り心地の良い「空気ばね」なんて存在しないので激しい振動にさらされて、すぐに音を上げるはずなのです。
だから、こうやって外から眺めるしかなさそう。来週以降も、まだ残っているのかなぁ...。
■6月4日(水) まるで何事もなかったかのように... ──車の不具合はセンサー本体以外が原因かも──
予定を変更してお伝えします。
今日は新潟への移動日。
基本的には、帰るだけ。講義はない──ただし帰宅後には前日の講義に関連する業務がたくさんある──ので気分は楽なはずなのです。でも昨晩はなぜか良く眠れず、しかも今朝は4時に目覚めてしまいました。
残念ながら、睡眠不足。長距離運転への影響が気になりますが、「帰らない」という選択肢はありません。ホテルのレストランで朝食を頂き、最後に濃い目のコーヒーを2杯。そもそも運転時は常に「カフェロップ」という眠気防止剤を携帯しています。
早く出発すると出勤ラッシュに重なって、逆にストレスが。
そこで、わざと遅めにホテルを発ちます。市内中心部へ向かう車は多く、かなり渋滞。でもセンセイを乗せた路線バスは逆方向なので、スイスイ進みます。
車を残してきた金沢工大に無事到着。関係者に挨拶し、荷物を入れ換えて帰宅の途へ。今日は9:16に大学を発ちました。最近はいつもこんな感じ。お伝えしたように先々週、愛車にトラブルが発生。
エンジンを始動すると、本当に次から次へと警報音と対応する警告表示。でもさすがに2週間続くと、内容をチェックせずに「了解」をタッチします。大学から少し離れた地点で最後の警告が表示されたので、「了解」。
カーナビなどを兼ねたモニタで「車両情報」(右の写真)から「車両ステータス」(2枚目の写真)を選択します。モニタを完全消灯させることもできるのです。でも現在、速度計付近は警告表示だらけ(こちらの1枚目の写真)で時刻は表示されていません。
でもこれで、モニタ上部には時計が表示される...え"っ?!
一瞬、我が目を疑いました。だって「異常なし」と表示されているのですから。(右の写真)
写真はいずれも、直後の信号停止時に撮影したもの。何回か操作を繰り返しましたが、センサーを含むシステムは完全に正常。トラブル発生後も、基本的な運転機能には何ら問題なかったのです。
ただし省エネモード他への切り替えができず、ノーマルモードでのみ走行可能。個人的には燃費云々(「でんでん」ではなく「うんぬん」)よりも、アクセルを踏み込んだ時のレスポンスの方が切実な問題。BMWはスポーツ走行を意識しているので、ノーマルモードだと過度に反応してしまうのです。(センセイの場合)
でも今は、ちゃんと省エネモードに切り替え可能。やはりこれがセンセイにとってのBMW。人馬一体、以心伝心、相思相愛の恋人とのラブラブ関係完全復活です。嬉しすぎて、もしかするとこれは一種の夢で、儚(はかな)く消え去る運命なのかなぁ...と心配したほど。
でも5分、10分経過しても、安定。かなり険しい石川─富山県境を省エネモードで越えます。燃費はかなり改善。おぉ、このまま帰宅できるかも...と思ったのですがやはり、現実は厳しかった。約1時間後、不意に最初の警報音が鳴動。
お察しの通り、続いて警告のオンパレード。正確に言うと今回、「クラッチ高温」警告だけは表示されなかったのです。「ふーん」と思いながら運転を続けると約1時間半ほど経過して、クラッチの警告が。つまりこれで完全に降り出しに戻ったということになります。
ま、仕方ない。それは問題ではないのですが、今日のシステム一時復活に関して、良くわからないことが。今回の事象は、センサー本体あるいは本体を含むモジュールの機能が短期間とはいえ復旧したことを意味しています。
もちろんセンサーその他の不具合が一時的に直ったのかも。でも、もしかするとそもそもセンサーあるいはモジュールには問題がなく、それと車載コンピュータ(ECU)を繋ぐシステムに問題が発生した可能性が。もちろんECU自体の不具合は否定できないのですが。
具体的には、センサーモジュールとECUを繋ぐデータバスラインの物理的な接続に問題があるのかも。たとえばコネクタの接触不良や短絡(ショート)など。でも激しい振動や温度差の変動が大きい車載システムですから当然、我々が想像するよりはるかに厳しい条件下を想定して設計され、しかも厳重にテストされているはず...。
やたら長くなりましたがやはり、不具合が発生しているかもしれないセンサー(モジュール)を交換して、様子を見るしかなさそう。ただしお店からの連絡は、まだありません。どうなっているのかなぁ...と思いながら、お店の前を通過。技術力はあるし、そもそもとても誠実な商売をしていらっしゃいます。
だからこの辺の問題が改善されればグッと大きく成長し、飛躍できる自動車販売店だと思うのですが...。
■6月3日(火) 残りの講義期間も、お世話になります ──金沢の夕食問題は、ひとまず決着へ──
割と夜更かししたのに、今朝は暗いうちにお目覚め。
不思議なもので現役時代はもちろんのこと、客員教授になってからも講義のある日の朝は、いつもこんな感じ。寝坊しそうになって家人に起こされた...という記憶はまったくありません。
う〜ん、一種の職業病かも。眠りが浅めだったからでしょう、残念ながら朝の血圧は「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は125mmHg。正常値の範囲内ではあるものの、高め。懸念していた通りです。でも仕事は、仕事。
何より、受講生が金沢で待っています。自宅を発つ頃から雨が降り始めました。新潟県内はそれほどでもなかったのですが、富山県内に入ると、時には水しぶきを上げながらの走行。ただしこの天気の影響か行きかう車は少なめで、割と順調に走行できました。
大学到着後は講義の準備に専念します。講義前半の山場であるにもかかわらず、このところの疲労のため、昨日までに準備を終えることができなかったのです。もちろん背景にあるのは加齢。残念ながら、もう無理はできないということです。
それはともかく頑張った甲斐あって、大学院の講義を終えることができました。
まぁ、冷静に考えると受講生に助けられた面が大きいのですが。次の時間、教室を資格関係の講義で使用することもあり、大急ぎで撤収。
センセイ個人としては、ここからがもう一つのポイント。先々週お伝えしたように、講義日の夕食とビールの確保に問題が発生しているのです。サッポロビールに関しては先週、大学近くの「ゲンキー扇ヶ丘店」を訪れました。
「ゲンキー」は生鮮食品(鮮魚を除く)を圧倒的な低価格で提供。その際、あわせて医療品やその他の食品、生活用品類を購入してもらうというビジネスモデル。だからビールも...と期待したのが甘かった。
何と、スーパーよりも高い。でもよく考えてみれば、ビールを含めた酒類はまさに嗜好性の高い食品。だから「お店に寄ったついでに...」というお客さんに低価格で販売する必要はないのですね。
ちなみに、石川県に根拠地がある「クスリのアオキ」も訪れましたが、こちらはスーパーと同程度。いろいろ考えた末、今日は講義を終えてからホテルへの途中にある「業務スーパー」(三馬(みんま)店)を訪れました。現役時代も時々訪れていたのですが白状すると、それ以上のご縁には繋がりませんでした。
で、肝心の価格はというと500mLのロング缶の場合、スーパーより30円以上安い。吝嗇(りんしょく:ケチのこと)と嫌悪されるかもしれませんが、そもそもセンセイは年金生活者。それも30歳でやっと定職に就いています。ちなみに、これでも業界では早い方。というか、そもそも定職を得られない人の方が多い。
それほど実態は悲惨なのです。(受講生を含めて)これまでのご縁に感謝しつつ、ビールを購入。続いて今日の運動不足解消を兼ねて、約1km離れた「ニュー三久」まで歩き、値引きされた惣菜を購入します。その先にあるバス停から、路線バスに乗車。
ホテル到着後、「今日はそんなにストレスもなかったから...」と思いながら血圧を測定すると、ドッカーン!!「平均」137mmHgと、正常値上限をクリアできず。
でもこれは「名誉の負傷」というイメージ。まぁ、頑張った今日だから、しかたないかな。
食料確保に関する限り残り8回となった金沢工大大学院の講義も、このパターンになりそうです。
■6月2日(月) 生長しつつある苗と成長途中の子供達。それらを見守る高齢者と、間を取り持つ存在
結果的に何と、4日続けて若草色のお話。(スミマセン)
明日は雨との予報ですが、その中を移動して金沢工大大学院の講義。
前任校と合わせると、週3日は講義ないしはそのための移動日ということになります。週休4日と言い換えることも可能。こう記すと、ずいぶん優雅で楽チンな生活と思われるかもしれませんが、月曜日はそのための準備。
どんなに集中しても、半日かかります。だから実際には週休3日で、しかも「休日」に実家の用が入ってきます。さらには昨日のように、それ以外の用が入る日も。加齢に伴い、無理すれば何でもできた時代は遠い過去のお話。公私の仕事と体調管理のバランスを確実に取る必要があります。
たとえば昨日の場合、かなり疲労しました。
明日以降のために今日は働くしかないのですが、今朝はちょっと特別。朝イチにかかりつけの歯科医院で治療していただくことになっているのです。
3月上旬に臼歯のレジン(樹脂)が脱落。過去にカリエス(虫歯)になり抜髄(ばつずい:歯の神経を抜くこと)した失活歯(しっかつし)だから、周囲を削ってレジンを詰め直せば...と考えたのが甘かった。
何と、神経が生きている生活歯(せいかつし)だったのです。発見が遅かったため既に歯の神経が冒されており、今度こそ抜髄。生きる上で歯は非常に重要な役割を果たしているので、時間をかけて丁寧に治療していただきます。
しかも今回は、特に大切な部位。今後を考えて保険適用外診療を選択したので、費用も掛かります。その額はざっと、金沢工大大学院の講義給与全体に相当するくらいの金額。
う〜ん、何のために働いているのだろう...。でも、ま、仕方ありません。最も重要な抜髄およびそれに伴う治療は先月までに終了し、今日は被せ物を作るために歯の外周を削ってから「印象」(型取り)。山場を越えているので、作業は順調に進行します。
もちろん痛みはなし。やれやれ。もし痛かったら、これまでの治療のどこかに瑕疵(かし)があったということを意味しているので。1歳下のドクターの治療には感謝しつつ、しかしどこか沈みがちな気分で歯科医院を出た時、まさに「黄色い声」が。
スーパーマーケット近くの歩道上に、大勢の小学生。校外学習の一環として、スーパーあるいはその隣のホームセンターを訪れたのでしょう。撮影しようかと思ったのですが、その時の位置だとグループと真向かいになり、個人を特定できる可能性が。
撮影を諦めて歩いていると、何と、今度は背後から彼ら彼女らの声が。どうやら見学を終えて、写真左側にある比角(ひすみ)小学校へ戻るところらしい。少なくとも2学級から構成されており、写真はその2クラス目。颯爽と先頭を歩くのは若い女性教諭。もちろん学級担任でしょう。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
子供たちの元気なおしゃべりは相変わらず。最初に見た時から気づいていたのですが、教諭以外にも大人が何名か参加しています。このクラスの場合だと3名。一人は保護者(たぶん母親)のようですが、続く2名は祖父母あるいはその世代。
手前に広がるのは数日前に苗を植えた田圃。田植え直後は本当にか細い苗だったので、「水鏡」が可能だったのです。でも今日は無理。皆さんがこの苗の色からどんな印象をお持ちになるかはわかりません──個人的には、あまり好みの色ではない──が、稲がしっかりと生長していることは確実。
もう、おわかりですよね。客観的に見ると現在のセンセイの立場は、ボランティアで参加している高齢者の立場。他方、講義の受講生は、まさに生長しつつある稲や、伸びつつある児童。さすがに小学生よりは年増ですが。
両者を繋ぐのが、前をしっかりと指差す女性教諭。ここに至るまで、関係者の努力は相当大変だったはず。
貴重な場面に遭遇したことに感謝しますが、子供たちがこの日のことを覚えているかどうかは別。もちろん参加したボランティアのことなんて、まず間違いなく記憶に残らないはず。
でも、それでいいんです。
■6月1日(日) 来年は、無理だろうなぁ... ──義理の叔母宅を訪れて、今だけの空豆を頂きました──
3日続けて緑色つまり植物の話題。この時季、それも僅か1、2週間だけの写真なので、ご容赦の程を。
いきなり本題から外れますが、今日の写真だけ色合いと雰囲気が異なることに気づかれた方がいらっしゃるはず。最近ご紹介している写真はほとんど、一眼ミラーレスCANON“EOS Kiss M”と中古「竹」望遠レンズで撮影しています。
ただしこのページの場合、先週月曜日の2枚目は「神」広角レンズ。また同日の1枚目は“PowerShot G9 X Mark II”で撮っています。オリジナルだとそれぞれの特徴がわかるのですが、掲載写真はかなり縮小しているため差が小さくなります。また同一メーカー製だからでしょうか、雰囲気はかなり共通。
でも今日の写真は、あれっ?!何だか、雰囲気が違う...。
実は、今日の写真は作業中に胸ポケットに収めていた“iPhone SE”(第2世代)で撮影しているのです(カメラを持参していたが、車の中に残していた)。撮影画素数はずっと多いのですが色合い、特に緑色が少し「くすんだ」感じに。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
同じ種類の植物を撮影しても、色の冴えがイマイチ...。
またオリジナル写真だと、エッジの処理の違いにも気づきます。最近のスマートフォン──特に上位機種──なら改良されているのでしょうが。
でも、ま、ここは撮影することの方が大切。お察しかと思いますが、今日は自動車で新潟市西部に住む義理の叔母宅を訪れたのです。叔母に会い、彼女が育てている空豆(こちらやこちら)を分けていただくのが目的。
毎年、この時季の年中行事です。ただし叔母も御歳90歳。叔母の場合、特に膝の具合が悪いそうで日常生活にも支障をきたしているとのこと。しかも叔母宅の電話は有線電話。
ワイヤレスの子機がないため、電話を掛けても応答できない場合も。すぐそばにある畑の耕作についても同様で、今年は手押し車を押しながらでないと畑へ移動することができないとのこと。というわけで今日の収穫はセンセイらが担いました。
拡大写真を良く見ると奥に叔母(の背中)を、また空豆の株の下部に未成熟の空豆を確認できます。電話がなかなか通じなかったので心配していると、やっと「今日なら...」という連絡が。また地元テレビ局も数日前、この地域の空豆の収穫が始まったことを伝えました。今朝はちょっと早起きをし、満を持して...という次第。
叔母はセンセイの母親と同学年。ただし早生まれの母親はまだ89歳ですが。決して競争しているわけではないのですが、客観的には去年から今年のかけての叔母の変化はかなり気がかり。これは母親にも通じますが、彼女たちが心から愛する農作業は、(ほぼ)無から有を生み出す(“creatio ex nihilo”)という、ある意味とてつもなく高貴な仕事。
と同時に、大変な重労働です。来年は、無理だろうなぁ...と密かに覚悟しつつ、そして彼女らの苦労を心の中で労(ねぎら)いながら、茹でた空豆を頂いています。
深謝。