2025年11月22日更新(2025年11月30日ページ移動)
■11月22日(土) もはや誰も驚かぬ、当地の「日常」 ──居酒屋「いいね亭」、本日で営業終了──
まさに今頃、関係者と常連客がご主人の慰労会を開いているかも...。
もちろんこれだけでは何のことかわかりません。1枚目の写真は今月上旬に柏崎駅前通で撮影した「いいね亭」という居酒屋。自宅にいる時のセンセイは僅かな機会を除けば、夜に外で飲むことはありません。
従って、まだ訪れたことはありません。
駅前通ですから、本来ならば一等地。目抜き通りのこの場所にもともとあったのは何かのお店(申し訳ありませんが思い出せません)。十数年前、中国人が経営する中華料理店に。
数年前、それがなくなったと思ったら少し間を置いて、この「いいね亭」に。アーケードが陽射しを遮ってくれることもあって、この駅前通は、センセイの晴れた日のお散歩コース。雪が積もるとここまで歩いてくることが困難になるのですが。
だから直接のご縁がなかったとはいえ、「いいね亭」のことは意識していたのです。白状すると、「意識」というより「気になっていた」というべきかも。というのは去年あたりから時々、1ヶ月くらい休業することがあったのです。
それも複数回。お察しの通り、どうやらご主人の体調が万全ではない時があるらしい。それでも無事に営業を再開されたので内心、「やれやれ...」と思っていました。
ところが先月、入口の左側に「閉店のお知らせ」。
これは不意打ち。お知らせには「・・・体力の限界を感じ、営業を続けることが困難と思い決意・・・」。「そばよし」とは対照的に、流れるような文章──かつ、達筆──ではないかも。
されど、ご主人の誠実さが滲み出ています。閉店日は「11月22日(土)」。つまり、今日。お店の営業時間は21:30。ただしこれは平日で、土曜日は22:00とのこと。だからまさに今頃...。(文頭に戻る)
ご夫婦で切り盛りされていたようですが、長い間ご苦労様でした。...で、終わらないのが当地の現状。右の写真は「いいね亭」の向かいにある文房具店。古くからあるお店です。ただし個人的には何か買い求めたことはありません。
こちらも「いいね亭」と同じ頃、「閉店」の張り紙が。閉店予定日等は記されておらず写真のように、その後も営業を継続中。ただしお客さんやお店の方の姿を見かけたことはありません。営業はおそらく年内。
どんなに長くても年度末と推測されます。周囲に目を遣ると、右側のお店はここ数年シャッターを降ろしたまま。かつては女性用の衣料販売店だったのです。左手は更地ですが、かつては何かのお店があったはず。だって駅前通はびっしりと商店が軒を連ねていたので。
お察しの通り、「そばよし」閉店は希有(けう)な例。隠れ家あるいは穴場のような存在だった──らしい──町内の小料理屋は特殊な例かもしれません。でも地域全体、特に旧市街地中心部では、このような閉店がほぼ「日常」。こちらも不感症になってきます。
これが旧市街地の実情。されど目を市内他地域に転じると、少しは...。
本件は続きますが、連続するかどうかはわかりません。悪しからず。
■11月21日(金) 雪になったら外すんだろうか... ──実家集落の奥でお地蔵様に出くわしました──
先月末のこと。
お昼に町内を歩いていた時、あるお宅の前で女性が庭のお手入れ中。「あのぅ、もしかして...」と声がけすると、相手も気づいて「秀雄君?」。小・中学校の同級生、しかも実家は同じ集落内。
十数年間を一緒に過ごした幼なじみです。何年か前に町内へ越してきたことは知っていたのです。
ただしここで出会ったのは初めて。当然、近況報告。それもセンセイらくらいの年齢になると、お互いの健康状態の話題から。ずっと以前は彼女も同級会にも参加していたのですが、ある時からパッタリ。
それ故、気になっていたのです。
どうやら腰を痛めて本当に大変だったらしい。大きな手術もしてある程度回復したそうですが、それでも「やっと100m歩けるようになった」そうな...。
同級会どころではありません。無人になった実家の様子を尋ねます。当然、更地にしたんだろうと思ったのです。でも返事はやや意外なもの。大きなお宅だったのですが、工務店に頼んで「一部屋とトイレだけ残してもらった」とのこと。
「敷地とまわりの畑の草刈りをする必要があるので...」。なるほど。お互いの実家は、柏崎市中心部から13kmほど離れた集落内にあります。センセイは少なくとも週に1回は通っていますが、センセイの実家は集落の入口。他方、彼女の方は奥まった地区。
彼女およびもう2人の同級生(いずれも男性)の実家付近へは、もう30年以上行っていません。だから...と直結しているわけではないのですが、親戚宅の様子も確かめる──次期ご当主様のお仕事──べく、実家へ行くついでに集落の奥まで。もう使用されていない路線バスの回転場に車を止めます。
その脇にあったのが写真の地蔵。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))そういえば、昔からあったような...。
実家のある地区は、僻地ではないのです。でも彼女やセンセイを含めて若い人は便利な場所へ出てしまうので、居住者は減る一方。戸数ではピーク時の1/3程度だし一世帯あたりの人数も少なくなっているので、人口は1/4〜1/5くらいだと思う。
人が住んでいるお宅より空き家の方が多い。現在は実質的に行き止まりとなっている集落内の道路ですが実は、明治期までは幹線道路の支線だったのです。当地域最大の幹線は旧「北陸道」。現在の北陸自動車道や旧北陸本線に相当します。
集落内の道路は、そこから枝分かれした「長岡街道」。柏崎と長岡を結んでおり、現在の国道8号線やJR信越本線の役割を果たしていました。
短時間滞在した間、センセイは誰とも出会っていません。でもかつては、一部大名を含めて多くの人が行き交っていたはず。戊辰戦争の際、柏崎市内の「鯨波戦争」で破れた旧政府軍はこの道を通って撤退。
途中、集落内のお寺で軍議を開いています。また良寛和尚も、この先にある「妙法寺峠」(「沖見峠」)を訪れています。
時間もなかったので地蔵の詳細は確認していません。一般論ですが、これら大小の地蔵は地域住民のみならず、徒歩以外の移動手段を持たなかった旅人のために建てられたものだろうと推測されます。
かつての旅行は難儀というより命懸け。実際、西村家関係者の墓地の一角(写真奥)には、冥土への道案内をしてくださるという「六地蔵」とともに、行き倒れになった旅人の無縁塚があります。
今日の写真に戻ると、どの地蔵にも手編み、そして色とりどりの帽子が被せられています。あと1ヶ月もすれば雪が積もります。
そうなったら、帽子、外すんだろうか...。
■11月20日(木) ま、こういう日もあるさ... ──広角レンズでの撮影には、テーマと工夫が必要──
写真は、失敗の見本としてご紹介するもの。
木曜日は前任校での講義。
センセイの本来の研究分野なのでネタはいくらでもあるし、教材は全面改訂済(こちらおよびこちら)。視聴覚教材を含めて、その後さらに手を加えています。要するに、特に心配するような点を思いつきません。
移動の関係でいつもより30分早く起床しますが、もともと目は覚めているので問題なし。ストレスはないので...と思いながら朝の血圧を測定すると、ドッカーン!!
初回はびっくりするような数値。このところ気温が低下しているため、初回測定はどうしても高めになりがち。これはセンセイ側の問題ではないし。ところが、いつもならすぐに低下するのに、今日は下がらない。
ホントに下がらない...。最後の最後で、「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)が正常値をクリア──127mmHg──しました。
正直なところ、思い当たる節はありません。敢えて挙げるとすれば昨晩、睡眠時間そのものは確保できたものの、ぐっすりと休むことができなかったことくらい。夢うつつで「眠りが浅いなぁ...」という意識していたほどです。
でも、仕事は仕事。何より、受講生が待っています。
身支度を整えて自動車で発ちます。予報通り、多少雲があるものの晴れています。その分、放射冷却で冷え込んでおり、車外気温計の表示はずっと3℃前後。ただし路面凍結の可能性は非常に低いので、夏用タイヤでの走行にも問題なし。
往路は割と信号機にかかったので燃費が少し低下しましたが、それでも20.1km/Lで大学到着。「新新バイパス」に入ってからは快調に走行しました。教室内の準備を終えてから、来週配布予定の資料を人数分印刷します。講義開始まで、まだ15分ほど。そこで先週の反省を踏まえて、「神」広角レンズ装着した“EOS Kiss M”を手にキャンパスへ。
前回(2枚目)と同じような位置から「ニューエル館」付近を撮影したのが、写真。
拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)もご覧いただけますが、今回はあまり意味がないと思う。だって、「何を伝えたいのか」がわからないから。
ユリノキの落葉が進んでいる──特に校舎脇。1週間でこんなに変化するとは思わなかった──のは仕方ありません。それを差し引いても先週は、少なくとも「紅葉にびっくりした」ことはお感じいただけたと思いたい(テクニックは問わぬよう)。でも今日は、漫然と風景を切り取っているだけ。
これじゃとても皆様にお見せするような内容ではありません。さし当たり、広角レンズの特徴を生かす工夫が必要。そしてそのためには、「テーマ」が重要。(繰り返しになりますが)「何を伝えたいのか」、です。
講義開始時刻が迫ってきたので教室へ戻ります。撮影時の反省が影響したのか、今日は割とメッセージが前面に。もちろん問題なく終了。あれこれ片付けてから帰路に就きます。
道路も混雑しておらず、概ね順調に走行。あちこち立ち寄ったにもかかわらず、帰路の平均走行速度は往路と同程度の49.7km/h。燃費は20.4km/Lと、好記録。
今日はあまり歩いていない──帰宅時点で約3,500歩──ので体調管理を兼ねて、いつものスーパーまで晩酌のツマミを買い出しに。前年ながら適当なものがなかったので別なスーパーまで歩き、珍しく「あん肝(きも)」の総菜を買って帰宅。
今日の総歩数は、約9,500歩。講義と運転で気を使ったし、疲れています。またこのところの歩数に比べると今日は4,000歩程度少なく、運動量も少ない。
他方、講義も運転も問題はなかったので、実家など他の件を含めてもストレスを抱えているような状況でもない。このような日の血圧は最初はともかく、割とすぐに落ち着いて正常値に収まるかどうかというパターン。
だから「初回は仕方ない」と思いながら測定すると覚悟していた通り、最初は高い。でもその後は予想外の展開へ。2回目以降はさらに上昇傾向に。これはほとんど経験したことがない事象です。その後も「収縮期」および「弛緩期」血圧ともにあまり下がらず、最後まで正常値をクリアできず。
ナシテ?!お伝えしたように、血圧はこのところ上昇傾向だったのです。それでも短期的に見ると、先月末以降は落ち着いていました。だから今日の血圧に関して、それらしき原因を挙げることはできないというのが本当のところ。
でもまぁ、これは身体からの警告なのかも。というわけで、今日は早めに休ませていただきます。
お休みなさい。
■11月19日(水) いよいよモノトーンの季節へ... ──夏用タイヤのまま無事に2往復できるのか?!
──
予定を再度変更して、いわば昨日の続きを。
1枚目の写真は昨晩遅くに書斎の窓を開けて、直下の廊下(縁側)の屋根を撮影したもの。このサイトを更新中、外が急にうるさくなりました。大量の霰(あられ)が降っているのです。翌日の状況を心配しつつ、就寝。
雪国の人間が天気を気にするのには、理由が。実は自動車のタイヤを冬用に交換していないのです。昔はともかく、ここ25年くらいのセンセイ、用がなければ車を使いません。現在、実家へ行く時とビールを購入する場合を除き、市内の移動は可能な限り徒歩(/稀に自転車)。
言い換えると自動車を出す時は、ほぼ長距離走行。明日の講義を含めて100km、200kmの走行は当たり前。さらに金沢への移動時は県境の標高の高い場所を通ります。だから他の方よりずっと早めに冬用タイヤへ交換。逆に、夏用タイヤへの交換は4月中旬から下旬と、遅い。
今年も、先月のうちにタイヤ交換を予約しておいたのです。
でもその後、軽微な不具合が発覚生したため、状況を確認していただく必要が。加えて法定1年定期点検を受けるべきことを失念していました。
他の予定との関係もあり、今月末に1週間程度かけてタイヤ交換と点検、整備していただくことに。もちろん天気予報を顧慮しながらの判断。現在は概ね2週間くらい前までの天気を事前に把握することができます。たとえば、一昨日からの天候悪化は織り込み済。
でも実際は毎日ハラハラ、ドキドキ。今朝起きて外を確認すると、屋根には降ったばかりの霰が少し。日中も時々道路が白くなることがありました。でも、この程度なら夏用タイヤでも走行可能。
実際、当地での冬用タイヤの比率は週末まで15%くらい。現在でも30%程度です。誤解されると困るのですが、これは絶対に「雪が積もっても夏用タイヤで走行できる」という意味ではありません(キッパリ)。積雪時の夏用タイヤ走行は自殺行為。
郡部の標高がある場所──雨か雪かは、ほぼ標高で決まる──にお住まいの方は皆、冬用タイヤに交換済です。風は昨日ほど強くはないものの、午前中はずっと冷たい雨。それでも正午前には割と落ち着いてきたので今日も徒歩で外出しました。
右の写真は、海沿いの砂丘の上にある旧市街地から撮影した「刈羽(かりわ)黒姫山」(891m)。地元では単に、「黒姫山」と呼ばれています。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
ご紹介するのは初めて。旧市街地を基準にすると南東の「八石(はちこく)山」(518m)から時計回りに、ほぼ真南の「黒姫山」、そして南西に位置し、何度もご紹介している「米(よね)山」(992m)と続きます。
これらを合わせて、「刈羽三山」。地域のシンボルである「米山」を撮影しなかったのは単に、山頂部がずっと雲に覆われていたため。「黒姫山」はというと雲の切れ間から山腹部分に日が当たっています。
ご覧のように5合目くらいから上は真っ白。標高をおよび気象状況──湿度ほぼ100%で飽和している──を考えると、撮影地より4℃くらい低い。つまり山腹は雪と霙が混じったもので、山頂部付近はほぼ完全な雪。
ただしこれが根雪になるかというと、話は別。これから少なくとも10日間くらいは寒気が入り込まず、ある程度気温が上昇する見込みです。つまりこの光景も2、3日中にはほぼ元に戻るはず...。月末に車を預けるまで、夏用タイヤで県北部まで2往復し、実家へ数回往復できるだろうと踏んでいるのです。
でも、ちょっとどうなるかわからない部分が。今朝も県内道路の積雪および混雑状況を確認したのですが、基本的には予測通り。ただし前任校までのルート中、長岡市内の一ヶ所(旧和島村)のみ国道上に轍(わだち)が。白状しますが、これは完全に想定外。
たぶん明け方、ここだけ霰がかなり激しく降ったのでしょう。ただし「轍」といっても路面は見えているので深いものではありません。実際、お昼には消失してしまいました。他方、通常よりリスクがずっと高まっていることもまた、事実。
明日、夏用タイヤのまま往復約220kmを無事に走行し、ちゃんと講義できるのかぁ?!
なお、手前に薄い黒雲がかかっています。これは雨を降らせている乱層雲の底部。拡大写真では、ところどころ局地的な降雨を確認できます(写真上部1/3くらいの場所)。普通の雨って、こうやって降るんですねぇ。
何度も目にしているものの、不鮮明とはいえ撮影に成功した(?)のは初めてです。
■11月18日(火) こちらも本格的な雪への備え。モータカーに、ロータリー除雪装置が装着されました
予定を変更してお伝えします。
昨日少し言及したように、日本海側および北日本には今季一番の強い寒気が入り込んでいます。新潟県内の場合、県境などある程度標高がある場所は積雪。平野部も、隣の長岡市などは雪が降っています。
長岡は明日朝、屋根はもちろん、もしかすると道路にも...という状況。当地ではまだ雪は確認されていませんが、霰(あられ)が降りました。現在は雨が降っていますが、寒さは今晩がピークなので、明日起きると屋根が白くなっているかも。こんな日は炬燵(こたつ)に入ってぬくぬくと...という気持ちに。(なお、書斎に炬燵はない)
でも体力維持のため、朝と夕方に仕事をした上で雨が小降りになってきたお昼に徒歩で外出。今日は風が強いので、それなりに身支度を整えます。旧市街地を歩く人はほぼ皆無。駅裏に出て「幸町公園」脇を歩いていると、公園の奥から重機を用いた作業音が。アームを伸ばした大きなクレーン車も見えます。
「もしかすると...」と思って近づいてみると、やっぱり。
幸町公園はJR東日本柏崎駅構内に接しています。北隣は保守車両の留置およびメンテナンス用の区域。高価な“ENR-1000投排雪保守用車”(2枚目の写真)用と思われる車庫もあります。(他のモータカーは野晒し)
その一角に置かれていたのが、先日ご紹介した除雪用のパーツ。具体的には右の写真左側の、青い保守車両「モータカー」に装着する除雪用の「ラッセル除雪装置」と「ロータリー除雪装置」。通称、「ヘッド」。
この風雨の中、その装着作業中。今日は割と重いものを買って帰るつもりだったし何より風雨が強いので、コンパクトデジカメ“PowerShot G9 X Mark II”しか持参していません。
最近の写真とちょっと雰囲気が違うのはそのため。(ただしレンズが明るく、しかもかなりの高性能)似たような色が重なっているためちょっとわかりづらいのですが、右の写真は左手前のクレーン車がロータリーヘッドを吊り上げているところ。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
これを左奥のモータカーに装着します。
右の写真は移動して、作業員が乗ったロータリーヘッドを撮影したもの。ヘッドの左端付近(および右下隅の別なヘッド)に、モータカーからの動力を伝える部分が見えています。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
この機構を通じてモータカーから除雪装置を駆動、操作する動力が伝えられます。3枚目の写真は、さらに移動して作業のほぼ全体像を撮影したもの。中央の青っぽい車両が「モータカー」。その左側にはラッセルヘッドを装着済。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
だから副題は本来、「ラッセルおよびロータリー除雪装置...」とすべきなのですが、ま、お許しを。なおモータカーは両方向に走行できますが、「前」は右側。積雪時、除雪用の各ヘッドを装着したモータカーは基本的に、ロータリーヘッドを使って右へ進みながら除雪。
ラッセルヘッドは基本的に、時々戻るためのもの。(そうでない場合もある)前後がはっきりしているのなら、当然、「方向転換はどうするのか」ということに。白状するとセンセイ自身の疑問だったのです。ほぼ解決していたのですが、今回改めて方向転換の方法を調べました。
一つの方法は、割と大きな車両基地にある「転車台」(ターンテーブル)を使って転換してもらう。
でも、たとえば当地の場合、ターンテーブルは長岡と直江津──それもトキ鉄の施設──にあるだけ。柏崎駅には存在しません。それに除雪作業は割と狭い区域を設定して、一気に行うはず。
方向転換のたびに長岡/直江津へ...はあり得ない。だって、途中区間は除雪されていないので。
いろいろ考えて推測し、モータカーの底部をちょっと離れた場所から見てほぼ確信していた方法が、「自分自身で方向転換する」という方法。
一部のモータカーは「転車台」を装備しているのだそうです。日本語表記は同じなので区別がつきませんが、こちらはジャッキ。油圧で自車を持ち上げ、人力で回転させます。センセイ自身は見たことがありませんが、愛媛県の伊予鉄道「坊ちゃん列車」(1号機関車)と同じ方法です。
なお1号機関車の実態は、モータカーそのもの。何せ、モータカーを多数製造している「新潟トランシス」(写真はかなり下部)製だし。
本題から少し外れて申し訳ないのですが、2、3枚目の写真を良く見ると、モータカーの四隅に、縦に伸びた赤い部品を確認できます。これは「アウトリガー」。何のことはなく2枚目の写真で、クレーン車を四隅から支えている装置。
トキ鉄の“ENR-1000”(トキ鉄所属なので、正確には“ETR-R-01”)を間近から撮影したことがあります。積もった雪、特に硬くなった雪を除雪するのは本当に大変。雪国の人は良くご存じですが、それなりに除雪されていても底部が雪に乗り上げてしまい、スタックすることが。除雪車も動揺で、割と雪に乗り上げて脱線するらしい。
その際、車体を持ち上げて元の線路に戻すための装置です。実は2014年2月、中央本線が大雪で数日間不通になったことがあります。除雪車が足りずに焦ったのでしょう、JR東日本はJR貨物から非常に重いEH200電気機関車を借用し、同28日に除雪に当たらせました。
たぶん単純に、「電気機関車は重いから...」と考えたのでしょう。確かに重いのですが、それを考慮して車輪は多く、一つの車輪にかかる質量(「軸重」)は同じようなもの(そうでなければ線路が破損する)。お察しの通り、EH200は小渕沢駅構内で圧雪に乗り上げて、脱線...。
機関車全体は非常に重いので簡単に元に戻すことができず、運転再開がさらに長引かせる結果に。あまりの愚行さゆえ、JR東日本の黒歴史に。
本題に戻りますが、あれやこれやを考えて、そして安全最優先での冬への備え。この風雨の中、本当にご苦労様です。他方、センセイはというと逃げるように次の目的地へ。だから決して偉そうなことは言えません。
トホホ。
■11月17日(月) 「冬」が来る前に... ──市内の赤坂山公園と松雲山荘を、徒歩で訪れました──
当地は今日から天気が悪化との予報。
しかも明日は、もしかすると平地でも初雪かというほど強力な寒気が上空に入り込みます。そこで昨日、市内の徒歩で行動できる範囲にある紅葉の名所を訪れました。
雨が実際に降り始めたのは予報より遅れて午後2時頃。結果的には今日でも良かったのですが。お昼をいただいてから、まず国道8号線を約4km西に歩いて「赤坂山公園」(柏崎市/にいがた観光ナビ)へ。標高約45mの小高い「赤坂山」の一角(南東部)が公園になっているのです。
頂上部付近は桜の名所。紅葉を楽しむことができるのはその手前、国道8号線を外れて、少し入った場所から山頂方向へ向かう高低差約25mの歩道沿いが中心。
入口付近には、多くの観光客が。もちろん日曜日で、しかも天気が良いからでしょう。家族やアベック、女性グループが主ですが、中には胸にワッペンを着けた団体客も。
ただし大混雑で「芋を洗うような...」という状況ではありません。(むしろ観光客は近年、減少傾向とのこと)
頂上部に市立博物館があることもあり、時々自動車でそちらを訪れることが。でも徒歩で赤坂山公園を登るのは、2022年に初めて訪れて以来、2回目。
紅葉を愛でることができる場所は細い谷とその両側の崖の部分。歩道は崖の中腹に設けられているのですが、川筋に沿っても歩くことができるようになっています。そこで今回、登りは川に沿って歩きました。
川を間近で楽しむことができますし上の歩道からの光景と、印象がかなり違います。でも紅葉はすべて見上げる格好。しかも低い場所にあるので太陽光が当たらず、紅葉はくすんだ色合いに。何枚か挑戦したのですが、ご紹介できるほどのものを撮影できませんでした。
川沿いのこのルート、最後は帳尻を合わせるべく、急な坂に、1枚目の写真は最後のを登り、頂上付近からメインの歩道を降りてくる途中で撮影したもの。ほぼ逆光──太陽は幹の背後──で撮っています。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
う〜ん、難しい。
公園の入り口付近まで戻り、隣接する「松雲山荘」(柏崎市/新潟観光ナビ)へ。2枚目の写真はその入り口と、奥へ続く道沿いの紅葉。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
こちらの観光客はさらに増加。道路の向かいには休憩所と仮設トイレ、そして数店の屋台が。「松雲山荘」はこの上、先ほど降りてきた崖──というより峰──の上にあります。だから約15mほど峰を登り降り。センセイは問題ないのですが、高齢者にはかなり厳しそう。
でもその分、「ほら、そこが綺麗よねぇ...」と、紅葉とともにこれまでの人生を振り返っていらっしゃるよう。「松雲山荘」は今月末までの夜間、ライトアップされます。もちろん観てみたいのですが、残念ながらセンセイには夜、外へ出かけるという習慣がない。(飲み会や特別な場合を除く)
右の写真は、グルッと一周するような格好で入口に戻る途中で撮影したもの。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))晴天でコントラストが強かったこともあり、明るさの加減が難しい。とてもプロが撮影したポスターやサイトのようにはいきません。そもそも葉がかなり落ちていたし。
でも、これが初心者。受け入れざるを得ない事実──そもそも、そんなに構えているわけではない──なので、「ま、しかたない」と思いつつ就寝。でも天気予報は、その表現を徐々に変えています。一部前述したように、雨の降り出しが遅めに。
当地については、1〜2時間遅れで寒冷前線が通過。しかも、その後の降り方と風の様子については事前の情報とかなり異なります。そもそも予想天気図そのものが変わっています。以前の予報では、気圧勾配はもっと急だったのです。当然、「真冬並みの荒れ方に...」と身構えていたのです。
でも少なくとも現在のところ、そこまでではない。何だか、短い秋と本格的な「冬」の前の、とても中途半端な状態。他方、今シーズン最強の寒気が入り込むこともまた事実。
受け入れ側の準備が完全には整っていない状態で、さて、明日以降はどうなる?!
■11月16日(日) 個人的には、こちらの方が望ましい姿かと... ──高田は、奥が深い(4)──
歴史を有する高田の話も、一区切り。(予定)
昨日は旅の終わりまで飛んでしまいましたが、「町屋交流会館 高田小町」や「高田世界館」を過ぎたところまで時計の針を戻します。ちなみに小川未明の碑および生誕地は、1枚目の写真左奥付近に。
その約250m手前に、この変形交差点が。
角地にあるのが写真の「大谷文具店」(Instagram/Facebook)。左側、棟続きになった「(株)大谷ビジネス」(1933年創業)の文具小売部門と推察されます。
ご覧のように文具店の方は、明らかに町屋を意識した造り。でも実は、最初からこうだったわけではないのです。50年近く前の姿を良く覚えていますが、コンクリート造りのごく普通の2階建てビルディング。
当時、市内に芸術系を含む大学が存在した関係で一般事務用品や文具だけでなく、画材等も取り扱っていました。「大谷ビジネス」のサイトによると、2008年に町屋風に改築したのだそうです。もちろん高田の歴史と街並みをできるだけ残すためでしょう。
その際、公的機関等からの補助は受けていないと推測されます。(ただし確認したわけではない)誤解されると困るのですが、高田の特徴を残すための取り組みに、一切補助金を支出してはいけないと主張しているのではありません。
昨日ご紹介した「多賀」は例外的な存在で、すべての取り組みを補助することは不可能なのです。
交差点を右折すると「雁木」が連なっています。50mちょっと先、次の交差点の手前に2軒の町屋が。古い町屋と雁木は、たいていこんな感じ。
左側の建物には「雁木の一服所」とありますが、開いているところを見たことはありません。
注目すべきは右の建物。ガラス戸には「高野商店」と書かれています(「高」は梯子高)。もともと麻屋さんだったそうですが、現在はそれを「瞽女ミュージアム高田」として活用。
「瞽女(ごぜ)」は三味線を携え、目の見える「手引き」に連れられて全国を行脚した盲目の女性旅芸人。詳細についてはミュージアムのサイトをご覧いただきたいのですが新潟県はその中心地で、とりわけ中越の長岡と当地高田を拠点としたグループが存在していました。
第二次世界大戦後、社会の変化に伴い瞽女は急速に減少。当地で残っていた瞽女も1964年を最後に巡業を終了。最後の高田瞽女である杉本キクイ(1898〜1983)さんは、その後も瞽女唄公演などに招かれただけでなく、無形文化財「瞽女唄」の保持者として認定。
この瞽女および瞽女唄の伝統を残すべく2009年、地元有志が「高田瞽女の文化を保存・発信する会」を設立。(2013年法人化)そして2015年にこのミュージアムを構えます。
「会」の会計報告には300,000円ちょっとの補助金を得ていることが記されています。会費その他の収入と合わせても、正直なところ収支はトントンという感じ。開設時はともかく、どちらのサイトもメンテナンスはおそらく関係者による手作業。
これらの取り組みは、ちゃんと地に足をつけています。個人的には、補助金──原資は血税であることが多い──を支出するのなら、このような取り組みの方こそ相応しいのではないかと考えるのですが...。